一から十まで完全に良い趣味の男といふのは

大てい女性的な男ですし

ニヒリズムを持たない男といふのは

大てい脳天パアです。

(三島由紀夫botより)

 

 

三島由紀夫さんの作品は確か岩波書店からは

出版されていないと記憶しています。

それをもって岩波書店が「左」であるということになるのか?

岩波文庫好きの筆者は多少気になります。

 

岩波文庫は注釈が多くて気になって読みづらいと

思っていましたが

最近はよっぽど気になる注釈以外は読みません。

それで良いのかは判りませんが。(笑)

 

田中康夫さんの「何となくクリスタル」も注釈が多かったですね。

 

 

筆者の岩波文庫好きをもってインテリとは言えないでしょう。

筆者の場合は、インテリはこーでねぇーの?と

インテリアコーディネーターに言われてしまうと思います。

 

 

「一から十まで完全に良い趣味」とは

隅々まで気を配った格好をするということでしょうか?

生まれ持った性質なのか、母親の躾なのか?

繊細さと言うのはジェンダーには関係ない様な気もします。

繊細で良い趣味の反対が粗野で悪い趣味とするなら

繊細であるか粗野であるかは客観性を確保できるのでしょうけれど

良いか悪いかは主観の問題ですよね。

一から十まで女性が良い趣味だと感じる趣味を持っているのが

女性的だってことなんでしょうかね!?

 

 

 

「ニヒリズムを持たない」のは価値観が完全に他者依存である

ということでしょうか?

完全な無ではないにしても

無から有を生じさせる事の前提が

ニヒリズムであるのなら

ニヒリズムは若者のもの

もしくは政治的な立場では一時的なリベラルであって欲しいと

筆者は思っています。

 

ニヒリズムを廻って

リベラルを認めないコンサバ

コンサバにつながらないリベラル

と言うものは不健全な社会を生み出しかねないのではないでしょうか?

(こっそり言うと、売国奴とネットで揶揄される新聞社が何故旭日旗を

連想させるシンボルを捨てないのか?ってことですけど。)

 

敬意をもってミードに沈められた敗れた王達

毒杯をあおる選択をしたソクラテス

逃げずに磔刑にされたイエス・キリスト

投石刑にされたゾロアスター

斬首刑にされた吉田松陰

 

ニヒリズムに殉じた人達ではないでしょうか?

 

 

 

 

色即是空、空即是色

 

 

仏教の全ての宗派が

般若心経を読む訳ではないそうです。

 

 

 

 

今夜のバリタイのお客さん達の色事は

艶事のはずです!!!