人間の細胞が入れ替わるサイクルは部位によって異なるが

およそ6年でほぼ全身の細胞が入れ替わる。

つまり6年経てば別人・・・。

 

だとするなら

小学校の6年間

中学校の3年間

高校の3年間に

2回も肉体が入れ替わっていることに

なりますよね。

還暦は60歳ですから

10回入れ替わっていることになります。

 

遺伝子がアイデンティティーの源泉なのか

精神がアイデンティティーの源泉なのか

どちらなのでしょう!?

iPhoneXは顔認証の機能が付いています。

携帯電話のロック解除が

数字である場合はまだ精神が

アイデンティティーの源泉である気がしますが

生体認証となると

遺伝子がアイデンティティーの源泉に

なっていますよね!?

携帯電話で受信したり送信したりする情報は

電気信号に一度は変換されますが

精神の世界の事ですよね?、基本的には。

今はアプリがありますから

ユーザーの身体の様子をデータとして

送信したりするのでしょうけれど。

 

精神の世界にアクセスするためのキーが

遺伝子に源泉のある情報になろうとしている

訳です。指紋や顔がキーなのですから。

 

6年以上音沙汰の無かった人と遭った時に

その人をその人として

アイデンティファイできるはずですよね。

 

先日、自宅近くで

6年以上会っていなかったし

連絡も取り合っていなかった同級生に

偶然再会しました。

夜の7時頃だったでしょうか。

同級生は女性です。

彼女は筆者が自宅から出てくるのを

見ていたようでした。

筆者より先に彼女が声をかけてくれたのですが

街灯の明かりの下で向かい合った時の

彼女の第一声が

「近くで見ると、やっぱり顔の中は

変わってないね!」

確かに遠くから見ると

舞の海さんが歩いてきたと思うだろうと

筆者自身も思います。

筆者と舞の海さんは同じ身長で

筆者は小肥りなので(笑)

彼女と最後に会った時には

筆者は痩せていたので

彼女が筆者を舞の海さんでなく

筆者であるとアイデンティファイしたのは

顔と声だったみたいです。

筆者から見た彼女は

最後に見た時とはあまり変わっていない

感じでした。

加齢によって変わっていたと言えば

変わっていたのかもしれませんが

それは円熟だったのだと思います。

魯迅の「故郷」の中で

主人公が幼馴染(閏土)と再会した時に

感じた程の衝撃を

彼女は筆者に対して

感じていたのでしょうか(笑)?

「故郷」の中で閏土と主人公も6年周期と

言われる細胞の入れ替わりを経て

再会しているのでしょうけれど・・・。

 

 

自分が自分自身である証は

肉体なのか精神(魂)なのか?

 

トランスヒューマニズムという

概念がありますね?

身体にマイクロチップを埋め込むって話です。

今は携帯電話がユーザーをアイデンティファイすれば携帯電話を使える時代ですが

いずれは携帯電話によってユーザーが

アイデンティファイされる時代が

来るのでしょうか?

その時には携帯電話という言い方も

しないのかもしれませんね?

見知らぬ土地では身分証明書が自分自身で

あることを証明してくれるのですから

トランスヒューマニズムもその延長線上の

ことなのでしょうけれど。

自分自身が同意している社会のシステムに

自分自身であることを証明してもらう訳です。

その意味で自分自身である証を

精神がする時代なのでしょうけれど。

 

 

 

 

尾崎豊さんは

「僕が僕であるために

勝ち続けなきゃならない」と

唄っていましたが

 

 

 

 

今夜は

バリタイで

自分らしくいて下さい!!!!!