そしてわたしは今も夢見るのだ、
牧羊神のおぼろ影が、
わたしの歓びの歌につらぬかれ、
露に濡れた草の上を歩んでゆくのを。
「しあわせな羊飼いの歌」(イエイツ)
イエイツの名前は筆者ですら
知っている名前ですが、
「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」の
冒頭に配されたことによって
イギリスの詩にそれほど興味を持っていない
人達も知ることになった詩なのでしょう。
映画「ブレードランナー」の続編が
公開されましたね!
筆者はまだ観ていませんが、観る予定です。
原作の冒頭にイエイツの詩が
載っているのを知ったのは、昨日。
「ブレードランナー」の原作を
読んでいないという
長年のコンプレックスを解消すべく
原作を入手したのでした。
ですから、まだ読んでません。
読んでから話題にしろよぅ!という声が
聞こえてきそうです・・・。
本を手にして開いた最初のページで
上記の詩が目に入ったわけです。
この詩がコンセプトなのだとしたら
牧歌的な世界を夢見る話なのかと思います。
前作の映画から想像すれば
映画世界の中の人達は
「乳と蜜の流れる地」を
夢見る人達なのではないでしょうか?
約束の地が地球上にはなくなってしまい
約束の地を作り出すためにトラブルが
生じた話なのでしょうけれど。
原作はハッピーエンドなのでしょうか?
それともバッドエンドなのでしょうか?
そんな単純な終わり方ではないの
かもしれませんね?
前作の映画の終わり方も非常に
難解な終わり方でした。
ディレクターズカット版では
白い馬が走っているシーンで
終わっていたはずです。
劇場版とディレクターズカット版の違いは
観る者にリリースを感じさせるかさせないかの争いだったのか?
それとも単に尺の問題だったのでしょうか?
A.I技術の延長線上にレプリカントは
いますよね!?
我々がもうすぐ直面するという
A.Iが人間の仕事を奪うという話も
どの様な形になるのか?
18世紀後半にイギリスで起こったとされる
産業革命。
産業革命が進むと人間の仕事は無くなると
言われていたと言う人もいます。
しかし、実際には人間が働かなくなると
いうことは無かった訳です。
産業の裏付けである
資産=負債+資本+利益
或は
費用+利益=収益
の等式において利益を
極大化させざる得ないので
人手が足りると言うことがなかった訳です。
これがマスプロダクト時代の真相ではないかと思ってしまいますが、皆さんどう思います?
そして、利益を極大化させざる得ない理由を
貸した金の利子を取って良いという
法律以前の道徳というか習慣にあると
筆者は考えますが、
皆さまどうでしょうか?
利子を取ることは東洋では
一般的だったようです。
聖書に
「異邦人には利子を付けて貸し付けてもよいが
あなたの兄弟に貸すときには
利子を取ってはならない」
(申命記23章20)
という言葉があるそうです。
ですので、
イスラム教では利子という概念は
否定されていてますが、
実際には手数料という言い方をするそうです。
キリスト教も本来は利子を
否定していたそうですが、
今は肯定しています。
ユダヤ人から利子を取られたら
異邦人と思われているということでしょうね(笑)
ブレードランナーノ次ハ
オリエント急行ノ殺人事件ダ!!
今夜はバリタイで
相手の反応速度を測ってみて下さい!!!