(4:00~6:00が熱い)

その熱い部分の抜粋↓

 

ヴィオラと言うと

あまり目立たない印象を受けませんか?
目立たないとは言え
必要欠くべからざるパートですよね!
現皇太子殿下も
たしなまれている楽器のようです。
筆者はヴィオラの音色ではなく
ヴィオラという名称に思い出があります。
 
 
筆者の中学生時代(つまり三十数年前)は
英会話の学習に
今の様な気軽さは無かったです・・・。
駅前留学も普及していませんでしたし、
当時でも六本木あたりは
英語で話す外国人は多くいたでしょうし
また、福生には横田基地がありますから
アメリカ人とは会話しようとすれば
出来たのでしょうけれど
中学生が六本木や福生の赤線に
繰り出すことはできるはずもありません。
そして横田基地で親善目的でやっている
英会話教室にアクセスするのは
今よりも難しかった時代です。
 
そんな時代に
格安の料金でアメリカ人と話せるという企画を
近所のキリスト教会がやっていたので
筆者は親に参加させてもらいました。
その英会話教室で筆者が参加したクラスに
学校の部活動でヴィオラをやっているという
女の子がいました。
彼女は某私立中学校の三年生でしたが
一年間オーストラリアに語学留学していたと
いうことで、本来なら高校一年生でしたが
彼女の学校は中高一貫教育なので
たいした問題ではなかったのでしょう。
中学生だった筆者は
そういうことが世の中にあるということも
知らなかったので
別世界に住んでいる人に見えたのでした。
彼女のルックスを具体的に描写できません。
記念に撮ってもらった写真も
もう手元にないので見ることもできませんが
彼女は美少女でした!
敢て似ている人を挙げるなら
6月29日に引退した嗣永桃子。
おしゃべりし過ぎない「ももち」ですかね。
筆者のまぶたの裏には、
かように浮かんできます。
(言った者勝ちかもしれませんが・・・。)
その教室はアメリカ人が帰国すると
教室自体も終了となり
当時筆者はシャイだったので
ろくな挨拶もせずに別れたのでした。
その彼女と一度だけ再会したのです。
当時筆者は学校のブラスバンドに所属していて
学校の文化活動の一環で
学校の体育館で演奏会をしました。
その演奏会にヴィオラの彼女が
来てくれたのです。
彼女に気づいたのは
顧問の先生に仰せつかって
聴きに来てくださったお客さんに
配布物を筆者が配っている時に
彼女が体育館の壁際に立っていたのでした。
配布物を渡した時には
どこかで会ったことがある人だと
いう印象でしたが
演奏する為に自分の席に戻った時に
ヴィオラの彼女であることに気づいたのでした
演奏が終わった後に彼女に挨拶に
行くといったこともシャイだった
筆者にはできるはずもありませんでした。
彼女との縁もそこで終わっていますが
筆者の甘酸っぱい思い出として
ヴィオラを見る度に心に浮かんできます。
 
彼女にはまったく記憶にないでしょうけど(笑)
 
 
今夜はバリタイで
ヴィオラの存在意義を
議論してください!!!!!