いつまでも
いつまでも
色つきの女で
いてくれよ
(阿久悠作詞:色つきの女でいてくれよ)
と沢田研二は唄っていました。
三十させごろ、四十しごろ、五十ゴザかき、六十ろくに濡れずとも
30代はさせてさせてと言い寄られ
40代はしたいしたいとせがみ
50代はゴザをかきむしるほど
60代は濡れなくなってもまだやりたい
我々男性には女性の事は解らないのです。
おそらく永遠に・・・。
思考停止をして受け入れざるを得ないのです。
個人をその人たらしめている他者は心の中に住んでいます。その他者に対して自分はどうあるべきか問い続ける。
自分の心の中に住んでいる恋人、愛する人に対して自分はどうあるべきなのか考えるのが、男性の基本でしょう!?
しかし、心の中に住んでいる人は自分の願望でもある訳です。
疲れ果てたあなた
わたしの幻を愛したの
(尾崎亜美作詞:オリビアを聴きながら)
と杏理は唄っていました。
浄土真宗の阿弥陀如来はどこから見ても正面を向いている事になっています。
どこから見ても正面を向く事は、普通の生活空間の中の人間には無理です。
どこから見ても完璧というのはあり得ない。
「どこから見ても完璧」で思い出すのは、リュック・ベッソンの「フィフス・エレメント」です。
この映画中で、ミラ・ジョボビッチが演じたリー・ルーを分析した科学者が「Perfect!」と言っていたはずです。
リー・ルーはモンドシャワン人(mondoshawan)という宇宙人です。
mondo she wants
mondo背負ん
man do she wants
mondo shows on
モンドショワン謎めいています。
主人公はブルース・ウィルスが演じるコーベン・ダラス。コーベン・ダラスはショーベン・ダラス(小便垂らす)に筆者には思えます(リュック・ベッソンは日本が好きですよね?)。ビビッて、小便垂らすとも、とれますが、小便小僧なのだと筆者は考えます。小便小僧は英雄ですから、コーベン・ダラスも英雄なのです。
そして、クライマックスで火、水、風、土の四大元素を四隅に立てた祭壇の真ん中でコーベン・ダラスとリー・ルーが抱き合うことで、リー・ルーの能力が発動する訳です。ブルース・ウィルスが演じるコーベン・ダラスとリー・ルーが一つになることによってブルース+リーですよね。火を吐くドラゴン(龍)かもしれません。祭壇の構図はタロットの大アルカナの21番「世界」そのもののような気がします(フランス語でle monde、イタリア語でmondo)。
コーベン・ダラスがリー・ルーを抱きしめるに至るのは、リー・ルーが「私は愛を知らない。生まれて来た意味が無い」と言って件の祭壇の真ん中で泣き出したからでした。
こういう判りやすいのに憧れます。
今夜はバリタイで、彼女が欲するものを与えてあげて下さい!