ヤマトグラブ工房の誕生秘話 | 親子で上達!野球道具で覚醒するヤマトグラブ

親子で上達!野球道具で覚醒するヤマトグラブ

グラブの回内構造を体得するだけで守備、送球、投球、打撃、走塁など全てが変わります。親子で楽しく学びましょう!

「ヤマトグラブ工房は、なぜ誕生したのですか?」
と遠方からお越しの方から
弊社の歴史をよく聞かれます。

私、梅原伸宏は、実は
2代目で、創業者の父(先代)は
 
梅原宏(昭和8年生まれ、
私が17歳の時49歳の若さで亡くなる)は、
8人兄弟で、上に兄と姉がいる3番目でした。
 
 
昔の家父長制もあり
父は祖父の家業が継承できずに
サラリーマンになります。
 


(掛布選手と先代と)

 

 

父はとにかく野球大好きな
グラブ小僧だったそうでしたが
家庭の事情で、自分のグラブは、買ってもらえず
いつも子守役として幼い妹をおんぶしていたので
 
 
「危険だから」と
いって空き地などで
同じ世代が行っている
野球は、なかなか入れてもらえなっかったそうです。
 
 
 
また、中学の時に1度体をこわして、
長い間入院生活をしたそうです。
 
 
病室で天井を見ながら
「いつの日か自分だけのグラブを創って
 キャッチボールをしよう」と決意したそうです。
 
 
先代は、
社会人になってもその夢が捨てきれず
親戚(兄弟姉妹)の反対を押し切って
脱サラをして
地域密着型修理のスポーツ店
「ミカサスポーツ」を創業します。
 
 
昭和43年のことです。
1968年で今年で50周年になります。
私が4歳のときです。
 
 
きっかけは、1964年
昭和39年の東京オリンピックを
見てスポーツ産業に感動した事だそうです。
 
 
父はいつも
「私は、とにかく身体が弱かった。
だから健康がまずは1番だと思った。
健全な精神は健全な体に宿る
その健全な体は、スポーツから生まれる。
だから地域のこどもたちの何かお手伝いをしたい。」


そう考えたそうです。
 
 
野球経験のない父は、グラブの修理、
スパイクの金具交換、P革付けなどに特化した
野球グラブ中心のスポーツショップを営業します。
 
 
当時のミカサスポーツの入口には、
たくさんの舶来品のグラブが並んでしました。
 
 
グラブの誕生はアメリカだからと
舶来のローリングスの硬い重いグラブも
所せましと並んでいたのを子ども心に覚えています。
 
 
そのグラブの匂いと視覚が、
今でもしっかり記憶にあります。
 
私も子ども時から時間があれば
車で30分ぐらい離れた地元の
グラブ工房(今は全て廃業されました。)
にもよく連れていってもらいました。
 
あるときに
お店にあるたくさんのグラブの中から
私の手のサイズに合う
グラブを選び型をつけてくれました。
 
 
そして、毎日のように店の路地で、
日課のようにボールが見えなくなるまで
親子のキャッチボールをしました。
 
 
毎日たくさんキャッチボールしました。
 
 
親子のキャッチボール
ドリームキャッチャーグラブ
これが、ヤマトグラブの原点だと思います。
 
 
弊社が
少年用トレーニンググラブ
TRSにこだわる理由がこれです。
ヤマトグラブ工房の原点なんです。
 
 
もし私の小学生の子どものが
「野球を始めたい」といえばこのグラブを
プレゼントすると思います。

小学校のときにこのグラブを使って
上達して中学、高校と
ヤマトの同じような型付けをした
ラインアップグラブを使用してください。
 

 

グラブのロゴは
ベースボールアカデミーとして
BBAというロゴのグラブでした。
 
その後
BBAのロゴマークになりました。
 
スパイクが出来たのでこのときに
こちらのマークに全て移行しました。
 
その後
海外に行ったときにやはり
日本産・ヤマト産ということが
海外でもすぐに分かるように
2006年から
YAMATO・ヤマトのロゴに作成しました。
 
Yは、地元の奈良県の鹿の角に見立てました。
 
 
これからも皆様に
お役に立てる進化した情報を
どんどん公開していきたいと思います。
 
 
今後ともヤマトグラブ・スパイク・インソールなど
をよろしくお願いします。