世界のどこかの海辺の町。プロペラで降り立つ女性が春を告げた。
そして、もう一人、大きなトランクを転がしながら現れた女性がいた。
そこはなにもかもが自由。何を選ぶかは自分で決める。
宿屋の主人は、勧めはするが強制はしない。
だれもが「たそがれる」理由を持つが、誰もその理由を知らない。
ただ、そこにいる。
この設定だけなら、どこかSFっぽいニュアンスになりそうなのに、そうはさせないのが、小林聡美の実力なんだと思う。彼女の起用で、そこは間違いなく、日本のどこかに必ずある町なんだと思わせるし、地に脚がついている感覚をもたらすのだ。
結局、最後まで、登場人物の過去や経緯は全く知らされない。
何故、彼女がここへ来たのか。追ってきた青年との関係は何なのか。
それは周囲の人間達も同じだ。なぜ、ここへ来たのか。
なぜ、彼女は春になるとやってきて、かき氷を作るのか。
なぜ、彼はここで宿屋のオーナーをしているのか。
なにもわからない。
だが、その感覚が心地よいのだ。
なにせ、この町は、携帯の電波の届かない場所なのだから。
「ここにいることのできる」、それ以外の情報もいらないのだ。
そして、ここにいる時間が終われば、また元の場所に帰っていく。
そして、ふたたび、帰ってくることのできる場所。
もう一度、この映画を観たら、「おかえりなさい」と春をつげるように言ってもらえる気がする、そんな映画だった。