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おばちゃん訪問看護師のつ・ぶ・や・き

50を過ぎてなお、毎日バイクで駆け回り、わかりづらい社会保障制度や死生観について考えさせられる日々なのです。在宅看護ってエキサイティングで面白い!

今、この時日曜日の夕方。


うちは娘も看護師で、今日は夜勤で今夜はお留守。


娘が夜勤の時はだいたい


『夜何食べよーかなー』


から1日が始まる。


今日は日曜日でね、午前中ちょっくらガーデニングに勤しんで、午後まったりと考えていたらふと、


この前やったじゃなぁーい。ウッドデッキのリメイク。今日は一日良い天気で、今なお良い気候。


と、いうことで、ひとりオープンカフェをオープンしまして。






こんな感じ。

全然ばえてなくてウケる🤣www





足りなくなったら困るので、おかわり用缶チューハイもスタンバイ。




まだ蚊はいないんですけども、何となく雰囲気を醸してもらってるカエルと蚊取り線香。



楽しいねぇ🎶

1人でだって十分満喫できて幸せを感じることはできますもんね。その上で誰かがいたらきっともっと楽しい。んでしょうかね😊




BBanのmy Pick


おはよう

 

こんにちわ

 

こんばんわ

 

さようなら

 

いただきます

 

ごちそうさま

 

 

。。。。。他に何かありましたっけかね。

日本語の挨拶。

 

誰しもが当たり前、と受け止めているであろう

 

『挨拶をする』

 

という行為。

 

あ、そもそも挨拶とは自発的に上記の言葉を発することであり、発せられた上記の言葉に対して行われるのは返事、と言います。

 

最近挨拶しない人が増えたなぁ、と思うことしばしば。もっと言うなら、返事すら返ってこなくて『ふぁ〜』と思うこともしばしば。

 

ちなみにいつだったか、ニュースの記事で見て「ほーぅ」と驚いたのが、

 

『コンビニでの朝の気持ちいい初発の挨拶は、その日一日のポジティブな経済効果が1億数千万…』

 

というもので、なんとなく、見出しだけで納得できる何かがありましたよね。

 

挨拶って、私たちが思っている以上に私たちの精神に影響を及ぼしています。

するかしないかもそうだけど、声の出し方やトーンに至るまで、人間てたったそれだけのやり取りの中でたくさんの情報を無自覚にキャッチします。

 

「お、今日機嫌よさそう」

「なんか今日暗め」

「調子悪い?」

「めずらし。雪でも降るんじゃない?」

 

などなどなど。

 

挨拶って、簡単なんだから単に「すれば」良いじゃない、って、他人に対しては思うのよね。

だけど実際返事が返ってこないとか、一向に向こうからは挨拶はなく「いつも一方的に私からばっかだよ」とかなると、萎えるのよね。手応えのないことに『無駄』を感じてしまう人は多いと思いますよ。

そりゃそうだよね・・・・って思う。それが人情ってもん。

 

ただ、挨拶ってそんな相手を変えていく力があるのですよ。もちろん、ただ漫然と『音』を発するだけではなく、そもそも日本語には言霊があり、そこに自分のできる限りのポジティブな意識を乗せることで、やがては相手からの返事を引き出せるようになる。

(大方はね。反社会性人格障害の気がある人には積極的には関わらないでね。あ、ふつ-に生活していればそんなに遭遇しないと思うからそんなに心配しなくてもへーき、と思います)

 

 

人間て太古から群れを形成して生きてきた生き物だから、コミュニティから弾き出されることに無意識の恐怖を持っています。


なので自ずと他者からの承認欲求は強くなるのです。


『褒められたい』

『高く評価されたい』

『必要とされたい』


こう言ったフィードバックは群れの中での自分の地位を確固たるものにしてくれます。『お金持ちになりたい』と言うのも、ある意味『高く評価』されることで、群れの中での自分の存在場所を確保する、そんなことの現れですね。

(もちろんこれについてはもっと邪な理由もあるかもですけど)


こう言う背景があるからこそ『挨拶』って出来上がってきたんでしょうね。


にも関わらず『挨拶しない人』『返事すらしない人』がいるとしたら、なんらかの心の病、もしくは病気ではなくとも病気の前段階にあたる様な『心のしこり』があるはずです。


根拠のない『ふん』て言う気持ちだったり、オドオドしすぎて声を発することができなかったり、そもそも外界の動きに関心がない、とかってもう、どれをとっても『大丈夫⁉️』な状況に置かれている、もしくは長年かけて『追いやられた』状態でありましょう。


そんな人たちを敢えて『変えていこう』なんて思う必要はありません。そんなことしたら自分がやられちゃうからね。ただ、出来るだけ挨拶をかけてあげることで『自分もコミュニティの一員である』と言う安心感を持たせてあげることはできるかも。


精神の病は元々の体の作りや、その身体の機能があんばい悪くなった時に表立ってくるけれど、身体の機能のあんばいは感情の制御不能から来ることも多い。


感情が制御不能になるのは、自身で選択できない過酷な環境であったり、自身の固定観念が狭い、または変えることができないなどなど。


だからそうおいそれと他者が関わって何とかなるって、そうそうないのです。医療関係者や福祉行政関係者だって大変なんだから。


だけど、生活する身近ないろんな人たちが、


『自分のこともちゃんと仲間だって思ってくれてる』


と感じられる状況ってすごく大切なのですよ。


たかが『挨拶』

されど『挨拶』


あたり前、になるにはそれなりの理由があるんだよね。


毎朝毎晩、いつでもどこでも、せめて同じフィールド内で活動する様な間柄の相手には、積極的にかつ、とびきりの笑顔で『挨拶』続けたいですね。


相手との適度な距離を保つためにも『挨拶』って、役に立つと思うなぁ。



 

 

BBanのmy Pick

 

介護保険料が見直されましたね。高齢者医療制度もそうですが、現役世代の働きがあっての物種です。現役世代の下支えがあればこそ、高齢者医療・介護保険・年金と、その権利を享受できるのですよ。


なんと言うか、知ってるようで割と多くの人がこのことに関して深く認識してなさそうな感が否めず。。。



コロナ騒ぎで医療崩壊、医療崩壊て騒いでますが、確かにコロナ受け入れ病院はいっぱいいっぱいになってるところもありますでしょう。実際大変そうですから。だけど、言うても全国の全病院がコロナ対応しているわけじゃないですから、いよいよとなったら全病院で対応すりゃいいだけのこと。


だがしかし、人手が足りないのはそもそもそれ以前で、コロナを受け入れてない病院だとて崩壊寸前に忙しいのは常なんですけどね。


むしろ医療崩壊に拍車をかけているのは不必要に高齢者を入院させてしまっている今の現状。


人はいつかこの現世から旅立ちます。誰がなんと言おうとそれは100%の確率で訪れることであり、避けて通れないこと。避けて通れないんだから、どうやってその時を迎えるのか、それは生きてるうちに決めておかなければならないこと。


自分を含め、特に家族と共に。


そこが当たり前にならない限り、老衰で入院させてくる家族は減らないし、穏やかに安らかに最後を迎える身体作りは出来ない。


老いた家族への愛情ゆえ、病院へ頼る心情は大いに理解できるし、切なくなる時もある。


だけど、現在の日本の病床数は170万強床。多いか少ないか分からないかもですが、割と世界と比較しても数だけ言えば多いといえます。ただ問題はその内訳。精神科と長期療養にあたる病床数がやたらと多く、急性期病床が少ないと言う特徴があるようですね。(by 日医総研)


多分働いている側の肌感覚もこれに近いと思う。

そして、長期療養病棟は特養などの老人福祉施設とは違うと言うものの、ほぼ、なんか、あんまり変わらない働きになってる気がする。


と、言うことは、医療保険を使って『病院』で療養せずとも『施設』で受け入れたらいいじゃない、と思う訳ですが、もうね、施設が少ない。


なんかこんなんなって書いててだんだん頭が混乱してくるんですが、とどのつまりはもう医療・介護の行政がおかしすぎる。


そりゃ施設なんか出来ないよ。儲からないし、働き手となる介護員なんて集まらないんだから。前の記事にも書きましたけど、介護職員なんて年収ランキングの最下位ですよ。誰もなりたいなんて思わないでしょ。そんな状況下だから職場環境だってあんまり良くないところが多いし。


だからそこでしょ?テコ入れするのは。現役世代に財政破綻を負わすなら、せめて介護負担を減らしてよ、と。


挙げ句の果てに、既に上がっちゃったけど、消費税率。消費税を社会福祉の財源に、て、社会福祉って『強者から弱者に』がコンセプトなんじゃないの?『強者から弱者に』て言うなら、法人税とか高額所得者からの所得税とか、イメージとしてはそんな感じなはずなのに。


消費税なんか低所得者だって靴下の一束やシャンプーの一本くらい買うでしょうが、そこにかけられた税金が社会福祉として自分に回ってくるって、なんか循環としておかしない?て思うのは私だけなんだろうか。


そもそも消費税なんて段階的に上がってイマココ、の10%まだ来てるわけだけど、なんか今までどうだったの?としか感じない。



現役世代が今後被る負担は何も社会福祉に関するものだけではないですよね。この度のコロナ禍で様々な給付金や補償、企業活動の停滞による財源の縮小化なんかで、これから国家財政だって厳しくなるでしょ。

そしたら必ず近い将来、その費用負担は現役世代にかかってくる。


いや、しょうがないのよ?それは国民としては背負っていかなきゃならない『義務と責任』だからね。


でも、だからこそ、その使い途はシビアに意識しないと、浪費癖のあるパートナーの如くに知らないところでどんどん使われて『働けど働けど我が暮らし楽にならざり』の状況が延々と続くことになってしまう。



私は医療従事者なので厚労省にめくじらを立てますが、その他省庁にだって同じことが言えるはず。


もっと厳しく冷たく上から目線で各省庁の仕事に関心を持つのは、国民としての最大の『権利』のはずですから。


一丸となって 監視しましょうよ。