密なる華に生きる空海 その18 | バザラスからのアジアン紀行

密なる華に生きる空海 その18

船には名前がある。

 

俺の爺ちゃんが所有していた

漁船の名は「漁福丸」。

 

航海の安全や大漁を祈願しての

命名だ。

 

名前や言葉には、文字が直接的に

訴える意味以外に、もっと広く奥深い

世界が内包されている。

 

さて、昨日の記事の続きだが、

なぜ空海の創始した真言密教と

キリスト教の新約聖書が関係あ

るのか?

 

新約聖書には、聖典の核心といわれる

福音書がある。

 

福音書は、イエス・キリストの言行録。


通常は新約聖書におさめられた

福音書記者による四つの福音書で

マタイによる福音書、マルコによる

福音書、ルカによる福音書、ヨハネ

による福音書がある。

 

さて、福音書の中のひとつ、

マタイによる福音書の中に

 

「人はパンだけで生きるのではない。

神の口から出るすべての言葉によって

生きる」とある。

 

ヨハネの福音書には、

 

「初めにみ言葉があった。

み言葉は神とともにあった。

み言葉は神であった。

み言葉は初めに神とともに

あった。」とある。

 

同じくヨハネの福音書に

 

「この世はみ言葉によってできたが、

この世はみ言葉を認めなかった。

み言葉は自分の民の所に来たが、

民は受け入れられなかった。」

ともある。

 

これら福音書の中に出て来る

「み言葉」とは、我々が人間社会の

中で使用する、コミュニケーション・

ツールとしての記号的言葉ではない。

 

言葉とは、

 

言=文字

葉=発語

 

となる。

 

コミュニケーションツールとしての

言葉は、物事を分節化・分断化

した記号で、これによって人間の

側で世界を都合よく分割化すると

も言える。

 

ギリシャ哲学で言うロゴス(理法)

だ。

 

福音書で述べられている「言葉」

「み言葉」は、上記の「言葉」とは

明確に異なっている。

 

それは、言葉が生まれ出ずる

原初の魂の糧としての言葉。

 

つづく。