老朋友便り | バザラスからのアジアン紀行

老朋友便り

先月、沖縄に行ってこられた

大学サークルの先輩から、

 

沢山の沖縄画像が

送られてきた。

 

俺が初めて沖縄に行ったのは、

南 沙織の「17歳が」ヒットして

から4年後の1975年、俺が17

歳の時だった。

 

家出だった(笑)。

 

実は、友人と二人でアメリカ密航を

企てていたのだが(笑)、事情があって

久米島で肉体労働をするはめに

なった(笑)。

 

そして、今から20年ほど前に

働いていた会社の旅行同好会で

沖縄に行き、15年ほど前には

出張で訪れて、計3度沖縄に

行っている。

 

まあ、俺の話はどうでもよく、

今日は先輩の話を書こう。

 

先輩とは、夜間大学のサークル

政治研究部で出会った。

 

俺が一年生で、部長の先輩は4年生。

 

そのサークルには、その先輩1人

しかおらず、廃部寸前だった。

 

なぜか俺達新入生が5人もサークルに

入部し、先輩もサークルも生き返った(笑)。

 

最初の勉強会のテキストは、

レーニンの『国家と革命』だっ

たか。

 

公害に軍縮、ポーランドの自主管理

労働組合「連帯」に原発。

 

色々と勉強して来た。

 

たまたま入部した1979年にG7首脳

会議が東京で開催(東京サミット)。

 

事前に警察が大学サークル・ボックス

のガサ入れを行い、先輩に導かれて

大学側に厳重抗議のストライキ

を行った。

 

その時のキーワードは、大学の自治

と学問の自由だ。

 

これを境に、俺は本物の

大学生になった気がした。

 

学問とそれを為す場は、政治権力からも

経済界からも自由でなければならない。

 

それが今では、産学共同は当たり前。

 

幼児から英語を学び、小中でプログラミング

や株取引、更には半導体に関わる人材不足

から、半導体を学ばせようとの動きもある。

 

学問が産業界の下請け機関と

なり果てている。

 

学校で必要な教育は、外国語の前に

母語(古典を含む)をしっかりと身に

付け、そして実利性を離れたリベラル

アーツ(人文・芸術・自然科学・社会

科学)を学ぶべきだろう。

 

そうでなければ、創造力は

減退し、「今だけ金だけ自分だけ」

の人間だらけになってしまう。

 

こんな批判を言えるようになったのも、

先輩と出会ったお陰である。