谷中をほっさるく(ぶらぶら散歩する:宮崎弁)その1 | バザラスからのアジアン紀行

谷中をほっさるく(ぶらぶら散歩する:宮崎弁)その1

GW中は、よく谷中を

ほっさるいた。

 

ここ谷中にある寺町美術館で、

 

ペルシャ書道家である角田ひさ子

先生の個展と、

 

ペルシャ書道教室が

3日間も行われた

からだ。

 

この寺、俺が大学時代に

お世話になった住職の

寺。

 

あまりにもご無沙汰だから、

訪ねなかった。

 

以下、山は猫さんのブログより。

 

山猫めを登塚

 

「曹洞宗興福山永久寺は、明治時代の

 新聞記者・戯作者であり猫好きとして

 も知られる仮名垣魯文の菩提寺であり、

 山猫めをと塚をはじめ、猫塔記念碑、

 猫塚碑など猫史跡フリークには見逃

 せないところである。

 

猫塚碑

 

山猫めをと塚(正確には「山猫めを登塚」)

は、魯文の飼っていた雌雄の山猫を供養

する碑である。

 

『猫の歴史と奇話』(平岩米吉著)によると、

雌雄の山猫を魯文に譲ったのは当時海軍

卿の榎本武揚であった。

 

その山猫とは欝陵島(竹島とされているの

は誤り)で捕らえられたらしい。

 

榎本が塚石を建てたのは、贈って

約1年後に亡くなった山猫を惜しん

でのことだった。

 

表に福地桜痴の碑文(明治十四年十月建 

山猫めを登塚 桜痴居士源喜)が刻されて

いる。

 

裏面には「榎本武揚君嘗賜雌雄山猫于

猫々道人魯翁 該猫病而斃標石一基 

卿表追悼之意 嗚呼」とあり、遊食連

(呑み食い友達?)として竹内久一以下

16名が列記されている。

 

なお、本堂には魯文の本箱の扉に描か

れた「山猫の写生図」(大蘇芳年画)が掲

げられているというから興味深い。」

 

昭和の香りぷんぷんの

家庭用品店。

 

俺はここで、ペルシャ書道で

使う竹筆用の小刀を買った。

 

つづく。