トトロの森と水と曼荼羅 その1 | バザラスからのアジアン紀行

トトロの森と水と曼荼羅 その1

先月半ば、俺には似合わぬ

トトロの森に行って来た。

 

西武狭山線の下山口駅で

下車し、

 

県道55号線をトトロの森に

向かって歩いていると、

 

こんな凄い山門があった。

 

以下、所沢市HPより。

 

「本堂の真南に位置するこの山門は、

 元禄9年(1696年)の建築で、禅宗

 様式をよく伝えた貴重な建造物です。

 

三間一戸楼門といい、楼門と

しては最も例の多い型式に

なります。

 

間口655センチメートル・奥行352

センチメートルの2階建で、1階の

中央は通行口となり、その両側に

はかつて仁王が安置されていま

した。

 

2階には四周に幅90センチメートルの

回縁があり、高さ56センチメートルの

高欄が取り付けられています。

 

屋根は入母屋造で、現在は

銅板葺です。

 

また、正面の桟唐戸の上には、

勝光寺の山号「瑞幡山]と書か

れた扁額が掲げられています。」

 

以下、猫の足あとさんの

HPより。

 

「抑々當山は弘安四辛己年(1281年)

 鎌倉建長寺第一世石門和尚が開山

 せられ北条時宗公を開基として創建

 せられましたが、

 

元弘の乱に屢々兵馬の巷となり

堂宇悉く灰燼となり、其の後正平

十一年(1357年)慈眼庵次で慈光

庵其の他諸堂宇が再建せられ、

 

門風大いに賑いましたが、永正年間

に再び回禄の災に遭い堂宇烏有に

帰し頗る衰微するに至り天文十七年

(1549年)に不動尊を安置し信者を募り

烣復を期すべく檀徒相計り寺門の復興

につとめたが、

 

元亀三年(1572年)時の住持が没し

圓覚寺派の僧を住持として迎え自来

圓覚寺派となり

 

天正十九年(1591年)に京都より

慶叟和尚来山入寺し徳川家康公

より寺領として境内地壹万坪御朱

印貳拾石を下附せられ速禅和尚

の時客殿及び山門等の諸堂宇共

に再建せられ當山の門風大いに

賑い太平の幕末の世まで続き今日

に至った。

(境内掲示より)」

 

つづく。