歌垣に遊ぶ 筑波山 その3 | バザラスからのアジアン紀行

歌垣に遊ぶ 筑波山 その3

ここは、筑波山神社。

 

筑波山は、ガマの油で

有名だそうだ。

 

昨年末の登山記です。

 

以下、筑波山神社のHPより

昨日の沿革の続きです。

 

山下の南面中腹(270m)に拝殿があり、

これより山上の境内地「筑波山」を御神

体として拝する古代の形が維持されて

いる。

 

筑波山を御神体と崇めまつる

神体山信仰に発し、古来春秋

両季に行われる御座替祭に供

へまつる神衣(かんみそ)に御

神霊を奉遷して御神体となす。

 

筑波山縁起によれば、当神社の

創祀は遠く神代に始る。

 

天地開闢の初、諾冊二尊が天祖

の詔をうけて高天原を起ち、天之

浮橋に並び立ち給う、天之瓊矛

(あめのぬぼこ)を以って滄海を

かき探り給えば鉾の先よりした

たり落ちる潮凝って、一つの島と

なる。

 

即ち二神は東方霊位に当る海中に

筑波山を造り得て降臨し給い、天之

御柱を見立て、左旋右旋して東西

御座を替え給い、相対面なされて

夫婦となり大八洲国及び山河草木

を生み給う。次に日神、月神、蛭児命、

素盞鳴尊を生み八百万神を生み給う。

 

記紀に伝える「おのころ島」とは

筑波山のことで、この故に筑波山

は日本二柱の父母二神、皇子四

所降臨御誕生の霊山であり、本朝

神道の根元はただ此山にあるのみ

と伝えている。

 

また詞林采葉抄は「筑波山といふ名は、

天照大神此の山嶺にて紫の筑琴をひか

せたまふに、水波の曲に至り、鹿島の

浦の波雲に乗って飛び登り、此の山の

嶺に着きにたりけり。よりて着波山と

いふ。

 

しかして琴名によって筑波山といふ」と

記し、山麓の小田城中で北畠親房卿

が神皇正統記を著した頃、筑波山が

父母二神を祭る天照大御神御親祭

の貴き斎庭(ゆには)であったと伝え

る伝承が広く行われてたことを示し

ている。

 

春秋二季の御座替祭の由緒や

筑羽子(つくはね)羽子板(はご

いた)の起源伝説にも諾冊二尊

と天照大御神とが筑波山に密接

して語り継がれ、文化年代の筑波

山私記にも「土民相伝ふ、日神筑

波山に降臨あり、のち伊勢に遷り

給うと。此山、日神の御山なりとい

ふこと三歳の小児まで伝説す。

 

史伝・旧記に引証するを待たず

して人これを信ず。

 

真の口碑といふべし」と記してい

るように、筑波山における諾冊

二尊と天照大御神の説話は、

他社に比類なき神秘に富んだ

ものを伝えている。」

 

沿革は、まだまだ続きます。

 

長いですねぇ(笑)。

 

つづく。