人の生命は地球よりも軽い | バザラスからのアジアン紀行

人の生命は地球よりも軽い

1977年、日航機が日本赤軍に

ハイジャックされ、バングラデ

シュのダッカ空港に強制着陸

させられました.。

 

そして、服役中の同志らの釈放や

乗客の身代金を要求。

 

これに対して、時の首相であった

福田赳夫は、

「人命は地球より重い」と述べて

身代金の支払いおよび超法規的

措置として収監メンバーなどの引き

渡しを決断。

 

この時から、日本人の脳内には

「人命は地球より重い」という

言葉が刻印されることになった。

 

1977年の日本は、昭和52年。

 

沢田研二、ピンクレディー、

キャンディーズのヒット曲が

日本中で流れ、王(ワン)ちゃん

のホームラン世界記録樹立で

浮かれ立っていた時代。

 

日本経済は1958年(昭和33)から1973年

(昭和48)まで、15年間にわたり平均年率

9.5%にのぼる高い成長率を持続し、

「10%成長があたりまえ、5%なら不景

気……」という風潮のなかで、景気に陰りが

見えてきたものの、あくまで経済中心主義を

突っ走っていた。

 

一方、当時の国内では、4大公害事件

(四日市ぜんそく、水俣病、イタイタイ病、

阿賀野川水銀中毒)以外に、様々な地域

で自動車排気ガスによる鉛中毒、光化学

スモッグ、ヘドロ公害等が発生。

 

日本史辞典のサイト「四代公害病」

によれば、

 

「富山県の神通川流域で発生した

 「イタイイタイ病」被害者は、

 

1973年までに194人がイタイイタイ病

の患者として認定され、2008年4月末

までに、そのうちの188人が亡くなった

とされています。

 

熊本県の水俣湾で発生した

「水俣病」では、2008年の5月

までには、水俣病にかかったと

認められた人は2268人で、その

うち1653人が亡くなったとされて

います。

 

新潟県阿賀野川下流域で発生した

「新潟水俣病(第二水俣病)では、

認定された患者数は、2014年3月末

までに702人います。

このうち、およそ450人以上が亡く

なったとされており、また認定されて

いない人などを含めると、患者数は

およそ3800人にのぼると言われて

います。

 

三重県四日市市で発生した

「四日市ぜんそく」では、

患者として認定された人数は、

1976年に1140人がピーク。

そのうち亡くなった人はおよそ

600人とされています。

 

しかし、未だに認定されてない人や、

病気に苦しみ自殺してしまった人な

どもいて、明確な患者数・犠牲者数は

把握されていません。」

 

経済発展の負の遺産は、

これだけではありません。

 

1977年頃の交通事故に

よる死亡者数は約1万人

前後を数えています。

 

10年で10万人です。

 

自殺者数も経済発展に比例して

上昇します。

 

1977年には年間約2万人。

10年間で20万人。

 

利便性と享楽を追い求めて

生きてきた我々の足元で、

多くの国民が犠牲者となって

います。

 

それは、現在進行中の戦争や

紛争の死者数を遥かに上回る

死者数なのです。

 

日本では、「人の生命は地球よりも

ずっと軽い」のです。