修験の棲む城峯山 その1 | バザラスからのアジアン紀行

修験の棲む城峯山 その1

秩父の御神体、武甲山。

 

4月下旬、城峯山に登って

来た。

 

今回も、大学サークルの

先輩・後輩と3人で登って

来た。

 

後輩は、秩父近隣の児玉町に

住んでおり車もあるので、車が

無い俺にとって、車が無いと

不便な山には、大変重宝な

存在なのだ(笑)。

 

奥秩父の山々は、バスの便が

極端に少なくて、余裕を持って

日帰り登山するのが難しくなる

のだ。

 

ところで、ここ城峯山には、

アメブロガーて修験道大先達

の峯龍さんの「古の智慧を学ぶ」

道場「秩父曼荼羅小屋」がある。

 

俺は、峯龍さんと直接の面識は

無いが、あるブログから知ること

となり、峯龍さんのブログを愛読

している。

 

峯龍大先達は、武道の達人でも

あられる。

 

修験者として、武道家として、

長年の経験で培ってこられた、

日本古来の智慧を、物と便利さが

溢れすぎて溺れそうな現代人に

少しでも伝えて、溺れることなく

自分で泳ぎきる術を身につけて

貰いたい。

 

そんな思いから、秩父曼荼羅小屋を

運営されていると、俺は勝手に思って

いる。

 

峯龍大先達にお会いしたい気は

あるが、俺は不真面目だから(笑)、

お会いする機会がやって来るに

任せている。

 

人間、会うべく人には必ず

会えるのだから。

 

修験者・山伏にとって、

己は自然の一部でしかない。

 

その一部の境界線すら消えて、

自然そのものでもある。

 

だから、山が削られ、森林が伐採など

されると、

 

自分の手足が捥ぎ千切られたような

骨髄に徹る痛みを感じるのだ。

 

その感覚は、現代人に欠けている

最重要な感覚でもある。

 

つづく。