イラン絵本展vol.9『アリババと40人のとうぞく』原画展 その2
ここは、板橋区成増にある
Cafe & Gallery Patina 。
第9回目のイラン絵本展が
開催されていた。
主宰は、長年に亘ってイランの絵本を
日本に紹介されているサラーム・サラーム
の愛甲 恵子さん。
今回のテーマは、
『アリババと40人のとうぞく』原画展。
テーマ以外にも、イランの様々なグッズや、
絵本が展示販売されております。
アリババと言えば、『千一夜』。
英語では、『アラビアン・ナイト』と訳されて
おりますが、
厳密に言えばアラビアではなく、
『ペルシャン・ナイト』。
以下、Wikiより。
「元々は、イラン・サーサーン朝時代(226年-651年)
にペルシャ、インド、ギリシャ等の民話が公用語の
中世ペルシャ語(パフラヴィー語)で記され、
「ハザール・アフサーナ」(ペルシャ語
هزار افسان,千の物語)として編纂された
のが始まり。
その後、651年にサーサーン朝はイスラム教徒に征服されて
イスラム帝国が勃興する。
最初のウマイヤ朝を経て、アッバース朝初期の8世紀後半に、
その新都バグダートがイスラーム帝国の中心都市として整備
され始めた以降、アラビア語に翻訳されて9世紀にはその原型
ができた。
アラビア語の題名は「アルフ・ライラ・ワ・ライラ」
(アラビア語 ألف ليلة وليلة,千一夜)。
1704年に、ルイ14世に仕えていた東洋学者アントワーヌ・ガラン
が、アラビア語の写本からフランス語に翻訳して「千一夜」
(フランス語 Les Mille et Une Nuits)第一巻を出版した。
ガランの翻訳と出版をきっかけにヨーロッパ中に「千一夜」ブーム
が起きた。
1706年に英語版が「アラビアンナイト・エンターテイメント」
(英語 The Arabian Nights' Entertainment)と名付けられて
出版された。
それ以降、世界中で翻訳されて広まることとなった。
日本では1875年(明治8年)に初翻訳された。
なお、アントワーヌ・ガランが翻訳に使用した「千一夜」の
アラビア語の写本では、夜の数は282夜、結末はない。
しかし、その初出版以降、題名の「千一夜」を、数多くの夜という意味
には捉えず、正確な数字と信じたガランを含む多くのヨーロッパ人に
よって次々と話が追加されたため、アラジンと魔法のランプ、
シンドバッドの冒険、アリババと40人の盗賊・空飛ぶ絨毯など、
元々、そのアラビア語の写本には存在しない話が、現代の「千一夜」
では多くを占めている。
そして、「千一夜」の結末は、いくつもの創作がなされて
版により異なる。」
つづく。