篠原 弘明 中国写真帖『TRIP to The UNIVERSE 森羅』(中国撮影出版) その9 | バザラスからのアジアン紀行

篠原 弘明 中国写真帖『TRIP to The UNIVERSE 森羅』(中国撮影出版) その9

いよいよ、このシリーズ

最終回。

篠原 弘明は、1927年(昭和2年)生まれ。

 

敗戦の年となった、1945年(昭和20年)に

陸軍士官学校入校。

 

皇国軍人への道を選んだ篠原氏は、

志を遂げることなく市井の人となった。

 

大戦で疲弊した日本。

 

都市は潰され、原爆を広島・長崎に打ち込まれ、

 

飢えるほどの貧困が、敗戦の痛手を

身に染み込ませる。

 

国民の鑑と賞賛された帝国軍人の身から、

 

日本を焦土化させ、数百万の国民の命を奪い、

国土は占領され、生き延びた国民は飢えに

苦しむ。

 

そんな日本にした帝国軍人こそが非国民だと

指弾される身分になった。

 

価値の逆立に苦悩する青年達は、

己の得意分野が日本の経済復興の

一翼の担うことに希望を見出す。

 

松下 幸之助、豊田 喜一郎と本田 宗一郎、

盛田 昭夫と井深 大、稲盛 和夫・・・・・

 

日本の各分野に於ける逸材が続出。

 

音響機器メーカーであるフォスター電機を

世界企業に育て上げた篠原 弘明氏もその1人。

 

氏の生き様と功績は、日本を照らす明星として

光輝き続けることだろう。

 

完。