びっくり下谷の広徳寺 その3 | バザラスからのアジアン紀行

びっくり下谷の広徳寺 その3

都内最大級の名刹 広徳寺。

以前は、台東区下谷にありましたが、現在は練馬区桜台にあります。
現住職と犬の黙然君。

黙然君は、有名な犬だそうです。

下記、ここに眠っておられる著名な方々。
(画像の墓石とは一致しておりません)。

秋月種弘 - 日向高鍋藩主。上杉鷹山の祖父。



織田信雄 - 安土桃山期から江戸初期の大名。織田信長の次男。

織田高長 - 江戸期の大名。織田信雄の息子、大和宇陀松山藩主。



織田信包 - 安土桃山期から江戸初期の大名。織田信長の弟、丹波柏原藩主。

小堀政一 - 小堀遠州、近江小室藩主。
        江戸時代初期の大名であり、造園家、建築家、茶人として著名。



小出吉親 - 江戸時代初期の大名。丹波園部藩主。

近衛秀麿 - 指揮者、作曲家。元子爵。元貴族院議員。
        異母兄に元内閣総理大臣の近衛文麿。



立花宗茂 - 安土桃山期から江戸初期の大名。筑後柳川藩主。
        「忠義・剛勇、鎮西一」と豊臣秀吉に賞された名将。

前田利昌 - 江戸時代の大名、加賀大聖寺新田藩主。
        寛永寺吉祥院の宿坊で織田秀親を刺殺して切腹。



柳生宗冬 - 江戸時代の大名、大和柳生藩主。剣術家で徳川第4代将軍
        徳川家綱の剣術の兵法師範。
        柳生宗矩の三男で柳生三厳の弟。
        墓地の調査中に木製(黄楊・蝋石)義歯(総入れ歯)が発見された。

柳生宗矩 - 安土桃山期から江戸初期の大名であり剣術家。
        徳川将軍家の剣術師範。
        大和柳生藩主。柳生宗厳の五男。



柳生三厳 - 江戸時代の剣豪で、旗本。
        大和柳生藩第2代藩主とされる場合もある。
        通称の十兵衛が有名で、歴史小説などの主役と
        される場合が多い。

         なお、広徳寺の三厳の墓石は角が削れており、仁侠の
         人間がお守りとして削って持ち去ったと言われている。




小野お通 - 美濃国出身で、九条稙家に和歌を学んだと伝えられる才女。

        北政所の側近侍女とも言われるが不明な点が多い。

        一説に小野正秀の娘と伝える。

        信濃松代藩主・真田信之と親しかったため、彼女の娘も
        「お通」を名乗り、信之の子・信政の側室となり真田信就
        を産んでいる。
 

森忠広 - 美作津山藩初代藩主、
  森忠政の三男。

深い歴史のある墓地ですね。

歴史小説と史実は、全く別物と言われるが、

知っている名が出ると、興味が湧きますね。

「拝観拒絶」なのに凡人を入れて頂き、有難うございました。

完。