残雪のテヘランと初恋のカスピ海 その25 | バザラスからのアジアン紀行

残雪のテヘランと初恋のカスピ海 その25

4/21-28の間、イランに行って来ました。


テヘラン北部の高級住宅街ダージリッシュ近辺を歩きます。


テヘランでは珍しく川が流れていて涼しいです。

金持ちは良い環境に住めるのです(笑)。

テヘランは、東西南北で住んでいる人達が違うようです。


南北は、経済格差もありますが、東西は経済的事情だけでは

無いようです。


詳しくはまだ把握していません。

テヘランの商業地は、本来南部に集中していたようですが、


経済の発展に伴い、中心地が北上してきたようです。


昔は、北部にも普通の庶民が沢山住んでいて、旧市街みたいな

様相だったようです。


ここはサーレ聖廟(イマーム ザーデ サーレェ)。

粉砂糖いちごさんのブログにこの聖廟の説明が

詳しく載っていましたので、無断転載させて頂きます。


ごめんなさい、粉砂糖いちごさん!

イランはイスラム教全体の10%から20%を占めるシーア派

(最大勢力のイスラム宗派はスンナ、又はスンニ派)を国教としています。

シーア派は、預言者モハンマドの後継者として、預言者の娘婿の
アリー(初代イマーム)とその子孫のみが預言者の代理とたる資格
を持ち、「イスラム共同体(ウンマ))」の「指導者(イマーム)」の職務
を後継する権利を持つと主張しています。


また、其のシーア派も国民のほとんどが「十二イマーム派」ですが、

「イスマーイル派」や「ザイド派」やイスラムから分離したグループに

と更に分派されています。

イマームの子供達や孫達は、「イマームザーデ」と言われ、
そのお墓は現在イランで1万500基が記録されています。

1978年には1500基が確認されていましたから、ここ37年で
7倍にもなっています。

場所としては、イラン北部のギーラーン州とマーザンダラーン州内
に多く、イラン東部のスィスターンとバルチェスターン州とイラン南部
のアフヴァーズ州にはイマームザーデの墓石は存在しません。

もともとはイラクとレバントまたはレヴァント (Levant) (東部地中海

沿岸地方の歴史的な名称。厳密な定義はありませんが、広義には

トルコ、シリア、レバノン、イスラエル、エジプトを含む地域)にイマーム

の家族が住んでいましたが、西暦8世紀以降、当時の多くの敵からの

迫害から身を守る為に移住してきました。
        


イラクにもイマームザーデの墓石がありますが、圧倒的に

イランに多いそうです。             

テヘランで一番に有名なイマームザーデのお墓と言えば

テヘラン北部の大きな街、「タジリッシ」 にある、ここ

「イマーム ザーデ サーレェ」。



第7代イマームである、ムーサ―カーゼムの息子(このイマームの

イマームザーデは4千基存在)であり、第8代イマームレザー(イラン

で唯一のイマームの墓がマハシャッドにあります)の兄弟にあたります。




往生されたのではなく謀殺されたそうです。



この聖廟は13世紀、14世紀にイルハン朝ガザンハン(1271年-1304年)

時代に建築されました。

イスラム建築としても重要視され、1972年に国の

重要文化財に指定されています。


つづく。