上野東照宮 その1 | バザラスからのアジアン紀行

上野東照宮 その1

もう2年も前の画像だ。

汲めども尽きない北斎の魅力。
日本のみならず、海外でも玄人の評価が高い北斎。

混むから入場しなかったけどね(笑)。

 

小松宮彰仁親王像。

上野公園には西郷どんだけではなく、明治に活躍した
色々な人の像や記念碑があります。

まあ明治維新は、西欧列強にけしかけられた
薩長のクーデターだったと思うけれど、それは
ここでは詳しく述べません。

明治維新には、米南北戦争で使用された銃器が
大量に輸入されて日本人同士の殺し合いに
使用されたという。

「明 治十年(一八七七)から同十三年にかけて、グラント将軍は
 家族同伴で、世界を周遊した。

 その際、来日。同十二年八月二十五日、ここ上野公園で開催の
 大歓迎 会に臨み、将軍はロウソン檜、夫人は泰山木を記念に植えた。

 植樹の由来が忘れられるのを憂い、昭和四年八月、この碑を建設。
 碑は正面に将軍の胸像を刻み、 向かって右側に和文、左側に英文で、
 将軍の略歴・日本滞在中の歓迎の模様、植樹の由来を記している。
 胸像下部には、英語で、将軍の言葉「平和を我等に」の 文字を刻む。







グラント将軍のフルネームはユリシーズ・シンプソン・グラントという。
北軍の義勇軍大佐として、南北戦争に従軍。戦功を重ね、のち総司
令官となり、北軍 を勝利に導いた。

明治二年、アメリカ合衆国大統領に選ばれ、同十年まで二期在任した。

いま、将軍植樹の木は大木に成長している。」

以上は、説明文より。
 



グラント達は、日本に使い古した武器を売ることで、しこたま
儲けて家族で世界旅行を楽しんだのだろう。


グラント将軍はローソン・ヒノキを、夫人は
タイサンボク(マグノリア)を植樹した。


明治維新については、徹底的に真実を暴かなければ日本人は
いつまでたっても自己確立の手がかりが掴めないであろう。

さて、タイトルの上野東照宮です。

巨大な石灯籠が並んでいます。

家康についても、調べたいことは沢山ある。

家康の時代以前から、西洋列強の圧力や
工作活動は盛んだったと思われる。

「鎖国」は、それらをコントロールして
日ノ本国を守る一手段だったろうが、

さらに奥深い思索が施されていた気がする。

つづく。