武道館 | バザラスからのアジアン紀行

武道館

九段下。
バザラスからのアジアン紀行
ビルの谷間に古風な佇まいを見せる九段会館。

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お堀の向かい側に武道館。

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清水門。

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江戸の面影。

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何のイベントか、おっさんには分らん(笑)。

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田安門の手前の細道を入ると、

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弥生慰霊堂。

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弥生神社、弥生廟とも言われている。

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警視庁、東京消防庁の殉職者を祀ってある。

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阿修羅の如く枝が踊るのは樫の木か。

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この場に建立されている昭和天皇御野立所碑。


大正十二年九月一日午前十一時五十八分、関東地方一 帯

に大地震が発生した。



死者、行方不明者十四万人、家 屋の全壊、焼失五十七万戸、

罹災所帯六十九万に及ぶと いうわが国災害史上未曽有の

大惨事であり、東京遷都の 噂すら流れたほどであった。
                  
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時に摂政であらせられた 昭和天皇は「東京ハ依然ト シテ国都

タルノ地位ヲ失ハズ、コレヲ以テソノ善後策ハ ヒトリ旧態ヲ回復

スルニ止マラズ、進ンデ将来ノ発展ヲ 図リ・・・・・」との詔書を発

せられて、復興の方針を 明示されると共に、同月十五日親しく

被災地を御視察遊 ばされた。


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それより六年有余の歳月と七億円(昭和五年度一般会 計歳出十六億円)

の巨費を投じて鋭意再建に努めてきた が、漸く復興が成り、昭和五年三月

二十六日皇居前広場 に於いて、天皇陛下の親臨を仰ぎ、帝都復興祝賀の

式 典が盛大に挙行された。
 

昭和天皇は、これに先立つ二十四日、被害の甚だしか った下町一帯の

復興状況を、約五時間に亙り御視察遊ば された。

その第一歩を駐めさせ給うたのがこの地である。


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当時はここから東京湾まで眺望することが出来た。
その後ここに「御野立所記念碑」が建てられたが、

長 年の風雪に曝されて損傷が著しくなっていた。


この地は 嘗て近衛歩兵第一聯隊が駐屯していたところである。


そこで有志相倚り昭和天皇御誕生日を卜して「御野立所 記念碑」を

再建し、御聖徳を偲び奉るものである。
 

平成元年四月二十六日
  

近衛歩兵第一聯隊會

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自然の大災害と世界大戦という苦難の歴史を歩まれた昭和天皇。

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これからの時代も、何があるか分らない。

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自然の脅威は、突然やってくる。

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人災もだ。

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備えあれば憂い無し。

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但し、想定外の事態が襲ってくる昨今。

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運を天に任せるしか無いこともある。

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人の力なんて古来からそんなもの。

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だから、想定外が当たり前。

「絶対安全」なんて安全神話を吹聴した

原発推進派の馬鹿たれどもは肝に銘じよ。


この度の台風被災者に心からのお見舞いを

申し上げます。