#炎の人 | 新宿信濃町観劇部日記時々野球とラグビー

新宿信濃町観劇部日記時々野球とラグビー

兵庫県出身。還暦直近の年男。文学座パートナーズ倶楽部会員。


作 三好十郎 演出 鵜山仁 


三好十郎がなぜゴッホを題材に戯曲を書いたか。その答えはパンフに本人が寄稿した「ゴッホとのめぐりあい」だけではなく、エンディングの強烈なメッセージから読み取れる。さらに加えて、第三場「タンギィの店」でのシニャックとのやり取りで「画家が絵筆を取る前に、その画家の中に準備され、火をつけられて存在しているものだ。そのことなんだ。つまり画家の生命そのものだよ…」とゴッホに主張させていて、そのセリフからも彼の思いが私には強烈に刺さった。


三好十郎の芝居は、「その人を知らず」「冒した者」に続いて三作目。また昨年11月の東演「獅子の見た夢」で描かれた彼の生きざまも強く印象に残っている。特に、三好が「獅子」の通し稽古で作家としての思いを抑えきれず、演出家が止めるのを振り切ってダメ出しをする星野昌広の演技や台詞を思い出した。


オランダから出てきてパリで出会うきら星のごとき芸術家たち。そして作品。彼我の差に絶望しながらも学び、取り入れる。客席の私たちは、「ひまわり」を巡って模倣と影響の微妙な線引きについてアルルでゴーギャンと論争する場面など、ゴッホの強烈な激しさをみせつけられ、ゴーギャンが「素直すぎる」と評した純粋さが彼の強みでもあり弱みであることを知る。


「俳優への手紙」で丸山貞夫に宛てた激しい言葉の数々との共通点も見いだせる。貧困と芸術。
「その人を知らず」も「神」の文脈で同様。


「炎の人」は昭和26年に書かれ、同年に民藝が初回公演を上演している。滝沢修のゴッホが絶賛されたものの、「滝沢が突出している民藝の舞台に三好が必ずしも満足しているのではないという思いと、上演が病床にある三好の励ましになってほしいとの思い」(「文化座と三好十郎」大笹吉雄」)から文化座創立メンバーの佐佐木隆が昭和33年のに文化座初演を打ち、これで6回目の公演だという。佐佐木の娘である現文化座代表佐々木愛の文章も含めて、このあたりの経緯が興味深い。民藝にとっても財産演目かもしれないが、文化座にとっても同じなのだろう。19時開演で終わって気づいたら時計の針は22時半に近づいていた。お尻の痛さが気になったが、作品の長さを感じさせない充実した時間を過ごせた。


客演3名を加えて25名のキャスト。ダブルキャストは1名のみ。文化座俳優陣はタンギィの妻役佐々木愛を筆頭にベテラン組の重厚さに安定感がある一方2019年入座の若手も5人いて、そのフレッシュさが印象に残った。もちろん中堅若手にとってまだまだ越えていく山は高いのだろうが、こういう演目を通じて成長する機会があるというのは伝統劇団の強みなのだと思う。その点では、劇団のエースといってもいいだろう藤原章寛のゴッホと、文学座鍛冶直人のゴーギャンの二人芝居(第五場)の緊張感がどう稽古ではぐくまれたか、そしてそれがどう本番で表現されたか、身近に体験できる幸せも同じく強みなのだろう。藤原章寛はまさにゴッホ本人ではないかと思わせる風貌。正気と狂気が入れ替わる様の演技に拍手。また鍛冶のゴーギャンは、もうさすがとしか言いようがない。他にできる人がなかなかイメージできない。同じく客演の新井純(女流画家モリソウ役)は去年の「赤いうさぎ、白いうさぎ」でその表現力に舌を巻いたがやはりお見事。小谷佳加がニクスに出演していなければ彼女が演じたかな、とも想像したが。昭和40年の公演で佐々木愛が演じたラシェルにフリーの琴音という女優がキャストされていた。ファランドール(ヴィゼー「アルルの女」)に合わせて踊る奔放な女性を魅力的に演じた彼女はどういったバックグラウンドを持つのだろうか。情報がないのがまた神秘的だ。


アルルでゴーギャンが去ったあとの錯乱状態から立ち直り、テオとルーランに支えられながら病床でキャンバスに向かって筆を走らせるゴッホの数年後のシーンでエピローグが始まる。戯曲では独白となっているが、鵜山はあえて多数が語る手法をとった。その効果には賛否両論があるだろうが、結果としてあのエピローグの言葉は私の心にしみわたった。


新型コロナウィルス感染症への劇団としての対応がお見事だった。広報的にも、そして実際の運営も。渾身の上演にダブルカーテンコール、ブラボーの声。その場に居れる幸せを感じた。


もう残りチケットは少ないが、観れるなら是非足を運んで欲しい。