
前から気になっておりました「叶神社」にフォーカスしたいと思います
浦賀には東西2つの「叶神社」が存在いたします
まずは、東神社から
この神社の上には、雰囲気の良いカフェがあるのですが階段を自転車を持って
歩かなければならないので、ちょっとハードルが高いです

そして西神社へ! 叶神社が2つある説は以下の通りです
元禄5年(1692)、江戸幕府の行政政策により、浦賀は東西の浦賀村に別けられた。
行政区域の分離は、それなりに各々の村意識を生じさせるのであって、
総鎮守は西岸に所在していたから、長い間、その氏子として叶神社の御神徳を
仰ぎ戴いてきたことにより、東岸にも今まで通り、同じ御神徳をと願う信仰心が
分霊祭祀となった。
叶神社が2社あるのは諸説あり、
「三浦郡志」(大正7年)には、「叶神社、当地には叶神社と称する神社2社あり、
一つは東岸新井にあり、一つは西岸宮下にあり。共に村社にして応神天皇を祀り、
伝えて養和元年僧文覚の勧請とす。
記録によれば、叶神社はもと叶明神と称し、西浦賀に在りて浦賀一村の鎮守なりし
が、元禄5年浦賀村分村して、東西に二ヵ村となりしより、東浦賀に叶明神を
勧請したりと云ふ。
旧幕府時代の地誌は東叶神社を若宮と書せるにても事情察し難からず、
西叶神社は歴代の浦賀奉行毎歳春秋二季に幣帛を献ずるを例とせり。
「新編 相模風土記」巻百二十三には、
東浦賀 叶明神社
正保元年(1645)9月19日。西浦賀の本社を勧請し牛頭天王、船玉明神
を合祀す。とある

偶然でお会いした、地元の方に「彫刻が素晴らしい是非見て行って」
と教えて頂き本殿を拝見しました
これは、「向拝の龍」という作品だそうで、作者は安房の代表的彫刻師、
後藤利兵衛義光とのこと
この叶神社の彫刻は、彼の生涯を通しての最高作云われ、彼の出世作となりました

浦賀を過ぎて、久里浜に来ればお楽しみのお昼はもうすぐそこです
人気店故、開店直後の1巡目で座れるように開店前からスタンバイします
お店の前を流れる川などを眺めつつ、空腹なお腹を誤魔化しています
続く・・・