原田慶太楼指揮N響 反田恭平(ピアノ)オール・スクリャービン・プログラム  | ベイのコンサート日記

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音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。

(6月9日・NHKホール)

ふだんのN響のコンサートとは客層が異なり、女性比率が高い。オール・スクリャービンという通向きのプログラムにもかかわらず、3,400席が2日間とも完売。改めて反田恭平の人気のすさまじさを実感した。

反田恭平、角野隼斗、藤田真央という人気男性ピアニストの発売即完売という集客力は、クラシック業界にとってありがたいことであり、業界の活性化にも大きく貢献していると思う。

 

原田慶太楼とN響、反田恭平の共演は今回で三度目とのことだが、私は初めて聴く。今日はアレクサンドル・スクリャービン(1872-1915)ばかりのプログラムだが、作曲家が24歳から30歳という若い時代にかいたものを集めており、交響曲第2番以外は、どこか未熟さが感じられる。

 

「夢想 作品24」は1898年26歳の作曲。幻想的で近代音楽の姿をまとっているが、修作のようでもあり、つかみどころがむずかしい。

 

原田慶太楼はN響に対して少し緊張気味に感じた。楽員は若返っており、コンサートマスターも郷古廉が務めるので、遠慮することはないと思うが、東響とは勝手が違うのか動作が少し硬い。

演奏もいまひとつ流れが悪く、音が開放されない印象。

 

「ピアノ協奏曲 嬰ヘ短調 作品20」は1897年9月、25歳の作曲。

ショパン風のロマンティックで甘い雰囲気が漂う作品。NHKホールの広大なステージの奥にオーケストラが配置されているのでピアノ移動のため楽員が立つことはなく、準備はスムーズ。

 

反田恭平はこの作品に初めて挑むという。メランコリックな旋律をきらめきのある音で滑らかに弾いていく。第2楽章の変奏も軽やか。第3変奏の重みも充分。終楽章も活発に動き、クライマックスのコーダも華麗に決めた。

原田N響の演奏は丁寧だが、まだ重々しさが残る。原田の指揮にN響が一呼吸置いて反応しているように感じた。東響のクイックレスポンスとは違う。

 

反田のアンコールは、ショパン「マズルカ 第34番 ハ長調 作品56-2」。軽やかに、さらっと弾いた印象。

 

後半の「交響曲 第2番 ハ短調 作品29」は1901年30歳の時の作品。スクリャービンは作曲当時ワーグナーやR.シュトラウスに影響を受けており、交響曲第2番はシュトラウス寄りだと言われる。確かに「死と変容」(1889年)のような雰囲気もある。5つの楽章からなり、モットー主題で統一されている。

 

原田の指揮は第2楽章後半から流れがよくなった。動きも大きくなり、腰が重いように感じられたN響の演奏も動きと輝きが増す。

原田は第2楽章のコーダを壮大に盛り上げ、ここで休みが入る。第3楽章はフルートが爽やかに鳴り、郷古廉のソロがからむ。爽やかな森の中の光景のよう。

 

第4楽章は不穏な空気から嵐が起こる。ティンパニが要所で雷鳴のように鳴り渡る。原田N響の一体感もさらに増してくる。荒々しいがどこか爽やかさがある点がスクリャービンの良さのようにも思える。

 

ヘ短調の第4楽章からハ長調の第5楽章に入る暗から明への転換が素晴らしい効果を生む。金管群が、青春が最も輝きを放つ瞬間のような第1主題を輝かしく吹奏すると胸が熱くなる。

この主題はクラリネットによる第1楽章の暗いハ短調の第1主題だが、ハ長調となりこんなにも明るく輝かしくなるとは。

コーダはこの主題がさらにスケール大きく、シンバルも叩かれ輝きを持って登場し、雄大に終わった。

原田慶太楼が本領を発揮、N響と一体となった。

 

第2番を生で聴くのは初めて。これは名曲だと思う。