大植英次指揮日本フィル 信末碩才(のぶすえせきとし)ホルン(6月7日・サントリーホール) | ベイのコンサート日記

ベイのコンサート日記

音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。

秋山和慶が鎖骨骨折のため、入院加療が必要となり、
急遽大植英次が代役として登場。

 

ベルク:管弦楽のための3つの小品は、カナダの作曲家ジョン・リーア(1944-)編曲による室内オーケストラ版。弦楽は2名ずつ、持ち替え木管、金管、3人の打楽器奏者、ハープ、ピアノ、全28名という小編成。

昨年のベルリン・フィルのフル編成の超名演と比べては酷だが、奏者の技術的な巧拙や、ピリッとしない大植英次の指揮もあり、第1、第2楽章は面白くない演奏。

長大な第3楽章は作品の良さもあり、なんとか聴けた。

 

日本のオーケストラのホルン奏者の中で、一番うまいと思っている信末碩才(のぶすえせきとし)が、自身一番好きだというR.シュトラウス:ホルン協奏曲第2番を吹いた。

ここでも大植日本フィルの演奏がまったりとしすぎてメリハリがなくノリが悪い。信末も何か乗り切れない様子で、珍しくミスが散見した。信末がそこだけで完結しているエモい(エモーショナルな)音楽とほれ込んでいる第2楽章もせっかくの信末の実力が発揮できなかったように思えた。終楽章の信末の活気ある演奏はまずまずだった。

 

後半のドヴォルジャーク:交響曲第7番は、「こんな曲だったか?」と首をかしげたくなるようなユニークな演奏。一言で表せば、ワーグナーのようなドヴォルジャーク。うねうねとした無限旋律のように横に流れていく演奏。切れの良い民族的な演奏とは正反対。ドヴォルジャークは20代の後半、ワーグナーのオペラに心酔したこともあり、ワーグナーとの親近性はあるとは思うが。

 

第1楽章は芒洋としてメリハリがない。第2楽章も同様で、纏綿(てんめん)と(まとわりつくように)進んでいく。
過去に聴いた第3楽章の演奏はいずれもチェコの民族舞曲フリアントの心地よいリズムに乗せて進んでいくものだったが、大植の指揮はリズムが重く地を這うよう。

 

第4楽章は第1主題がクラリネットとホルンによるうごめくような旋律であり、大植はさらに輪をかけたようにねちっこく指揮していくので、ワーグナーらしさがさらに強くなる。《ニーベルングの指環》第2夜《ジークフリート》で大蛇に姿を変えたファーフナーが登場するかのようだ。

しかし聴き進むにつれ、大植のねっとりとした音楽にいつのまにか引き込まれ、うねりに飲み込まれていく。ドヴォルザークの新しい解釈を聴くようだった。

秋山和慶の指揮であれば、もっとかっちりとしてリズムの切れがあり、さっそうと進んでいくドヴォルジャークとなったとことだろう。

聴衆も大植に説得されてしまったのか思いのほか拍手は大きかった。

 

公演データ:
日本フィルハーモニー交響楽団第761回東京定期演奏会

 

6月7日(金)19時開演

会場:サントリーホール

指揮:大植英次

ホルン:信末碩才[首席奏者]

コンサートマスター:田野倉雅秋

 

曲目

ベルク:管弦楽のための3つの小品 op.6(リーア編曲による室内アンサンブル版/日本初演)

R.シュトラウス:ホルン協奏曲第2番 変ホ長調 AV132

ドヴォルジャーク:交響曲第7番 ニ短調 op.70 B.141