ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」(3月20日・新国立劇場) | ベイのコンサート日記

ベイのコンサート日記

音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。

新国2010/2011シーズンに上演された大野和士指揮の「トリスタンとイゾルデ」(2011年1月4日鑑賞)はこう書いて絶賛していた。
『東京フィルから充実し切った響きと、最初から最後まで弛緩することのない演奏を引き出すとともに、完璧な歌手陣との一体感を見事に実現していた。トリスタン役のグールドの底知れない声量、イゾルデ役のテオリンの骨太でよく通る声。脇を支えるクルヴェナール役のラジライネンの安定した歌唱、ブランゲーネ役ツィトコーワのたいした声量と演技。声楽陣とオーケストラが理想的に組み合わされた』

 

今回はその再演。東京フィルに代わり、大野和士が音楽監督を務める都響がピットに入った。ワーグナー「楽劇《マイスタージンガー》」では磨き抜かれた演奏と自分でも絶賛していたので、今回も期待したのだが。
ワーグナー《ニュルンベルクのマイスタージンガー》<新制作> 新国立劇場 初日レヴュー | ベイのコンサート日記 (ameblo.jp)

 

前奏曲を聴いて、おやと思った。よく整った弦ではあるものの、もう一段踏み込んだ深みがない。もう一点付け加えれば、うずくような官能性が感じられない。

その感覚は最初から最後まで変わることはなかった。この13年間の様々な音楽体験で自分の感覚も変わったのだろうか。大野自身の変化、また東京フィルから都響へと代わったことなどが重なり合って、今日のような演奏になったのだろうか。

《マイスタージンガー》では良いと思った大野都響の演奏が《トリスタンとイゾルデ》では合わなかったのか。

 

いずれにしても、歌手陣が充実していた割には今回の公演は感銘を受けなかった。その理由は、オーケストラが厚みや滑らかな美しさはあるものの、ワーグナーの官能性や毒性を味わわせるような奥深い響きとインパクトがなく、歌手陣とオーケストラが一体となるワーグナー特有の官能性や陶酔感がいまひとつ足りなかったためだと言えるだろう。

 

トリスタンのゾルターン・ニャリも、イゾルデのリエネ・キンチャも代役としては充分な歌唱だった。ニャリは抒情性がありナイーブなトリスタンを、キンチャは誇り高く意志の強いイゾルデを演じ歌った。

 

マルケ王のヴィルヘルム・シュヴィングハマーは評判通り、年老いた王の苦悩をその品格のある声でよく表現していた。

 

ブランゲーネの藤村実穂子はこの役の第一人者として期待通りの立派な歌唱。海外の歌手陣を凌駕するほどの深い表現力は健在。

クルヴェナールのエギルス・シリンスが素晴らしかった。声量もあり、クルヴェナールに成りきった演技と歌唱。

 

演出に関しては前回を踏襲。最後にイゾルデがトリスタンの上に臥して死ぬのではなく、13年前と同じく舞台奥へと消えていくところで幕となる。

 

リヒャルト・ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」

【指 揮】大野和士

【演 出】デイヴィッド・マクヴィカー

【美術・衣裳】ロバート・ジョーンズ

【照 明】ポール・コンスタブル

【振 付】アンドリュー・ジョージ

【再演演出】三浦安浩

【舞台監督】須藤清香

 

指揮

大野和士

 

演出

デイヴィッド・マクヴィカー

 

キャスト

【トリスタン】ゾルターン・ニャリ

【マルケ王】ヴィルヘルム・シュヴィングハマー

【イゾルデ】リエネ・キンチャ

【クルヴェナール】エギルス・シリンス

【メロート】秋谷直之

【ブランゲーネ】藤村実穂子

【牧童】青地英幸

【舵取り】駒田敏章

【若い船乗りの声】村上公太

【合 唱】新国立劇場合唱団

【管弦楽】東京都交響楽団