高関健 東京シティ・フィル マーラー「交響曲第5番」ほか(3月8日・東京オペラシティ) | ベイのコンサート日記

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音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。

シベリウス:交響詩「タピオラ」 作品112

高関健はプレトークで、「この曲はシベリウス最後のオーケストラ曲だが、構想で終わった交響曲第8番の第1楽章になったかもしれない」と語った。幻想的な印象のある作品だが、高関の指揮はくっきりとしており、切り込みの鋭いすべてが明晰な演奏に仕上げていた。これは後半のマーラーにも当てはまる。

 

マーラー:交響曲第5番 嬰ハ短調

今回高関が使用したスコアは「国際マーラー協会新全集版、ラインホルト・クビーク校訂2002年版」で第4楽章のハープが2台となっており、他にダイナミクスやアーティキュレーションが変更されているという。高関はトークで「ハープは常に二人で演奏する。全体的にマーラーはすべて細かく指示を書いているがどうしてもかぶる部分は調整した」と話した。

 

マーラーの5番は聴く機会も多いが、今回の演奏はこれまでと大きく違っていた。

これが版の違いからくるのか、高関の譜読みやアイデアのためか、詳細はわからないが、全く新しい顔を見せてくれた。

 

まず目立った違いは、第3楽章のオブリガートホルンがソリストのように指揮者の横に立ち、豪快にソロを吹奏したこと。ホルン群から離れてひな壇で演奏する映像は見たことがあるが、協奏曲の独奏者のように演奏するのは初めて(ラトル、ベルリン・フィルの来日公演でもあったとのこと)。
首席の谷あかねの見事なソロに、自席に戻る際場内から拍手が起こった。

 

トークで高関が話した第1楽章の葬送行進曲のリズムもこれまで聴いたものとは違う。

その他、様々な動機やモチーフが一段と強調され、アクセントとして、あるいは推進力として働きかけていた。ふだん聞こえてこないコントラバスやファゴット、銅鑼まで、各楽器の音像が鮮やかに浮き上がる。ほぼ全曲にわたり新しい視点で構成された。

 

さらに、高関が「音が大きく巨大に響く」と言ったとおり、全てのセクションが強奏では最大限の音で奏した。それでいながら、音の混濁はなく、バランスが保たれているのは高関の冷静な指揮なればこそ。

 

第4楽章アダージェットのヴァイオリンの一体感と透明感、中低弦の厚みは素晴らしかった。ハープ2台は存在感があり聴きごたえがあった。今日は、コンサートマスターは荒井英治が務めた。

 

第5楽章も全てが明晰で勢いがあった。金管のコラールによる最後のクライマックスは、本来なら魂が揺さぶられるような高揚感に包まれる、この交響曲最大の聴きどころだが、それまでの過程があまりにも刺激的で驚きの連続であったため、飛びぬけた感動にまでは至らなかった。しかし、それはこれだけの演奏を聴かせてくれた高関健東京シティ・フィルに対して望みすぎかもしれない。

 

今日は完売満席。かつて閑古鳥が鳴いているような(失礼)寂しい客席に、「こんなに熱い演奏を繰り広げているのになぜ?」と悲しくなり、ブログなどで一生懸命シティ・フィルを応援していた時代とは雲泥の差だ。お客様の耳は確かだと言うことだろう。一途な努力は必ず報われる。