アンヌ・ケフェレック ベートーヴェン後期三大ソナタ ラ・フォル・ジュルネ TOKYO2023  | ベイのコンサート日記

ベイのコンサート日記

音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。

東京国際フォーラム ホールC

5月6日 (木・祝) 10:00~11:00

公演番号:321

●東京国際フォーラム ホールC
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第30番 ホ長調 op.109

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第31番 変イ長調 op.110

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調 op.111

 

演奏に入る前、マイクを持ち通訳を伴い登場したアンヌ・ケフェレックが作品について詳細に語った。

 

以下は聞き取り。

『朝10時からのコンサートは生まれて初めて。準備なしでいきなり山に登るよう。ラ・フォル・ジュルネのFolleはクレイジーという意味、狂っていないと朝10時からふつうコンサートなんてできませんよね。一緒にベートーヴェンに連帯感を感じながら進みましょう。

ベートーヴェンは戦う人でした。32曲のピアノ・ソナタは音楽を通して描いた彼の日記のようなもの。24歳から書き始め、30年書き続けました。ベートーヴェンは好きなピアノでソナタ形式を書き続け、32曲目が最後になるとわかっていました。

 

3つの最後のソナタは3姉妹。それぞれが私的な世界、キャラクターを持ち、「変容していく」という共通点があります。

 

第30番作品109は、比較的古典的な形式があり、主題はとても親密でシューベルトのよう。

 

第31番作品110は全く異なります。ベートーヴェンの自画像であり、22分ほどの作品。1821年のクリスマス、12月25日に完成しました。作曲前の2か月間は病に伏せていました。この作品は献呈者がいません。自分自身への贈り物として書いているようで、個人的な指示も書き込んでいます。第1楽章は「心から発し、心へ届ける」というベートーヴェンの人格の善良さが出ています。

アタッカの指示がある第2楽章スケルツォはベートーヴェンらしい燃える部分。

第3楽章は苦悩へと沈みます。苦しみ、痛み、孤独など詳しい指示があります。ベートーヴェンはしかし戦う人。フーガ、対位法は戦い。しかし苦しみが戻ってきます。「力尽きていく」という書き込み、指示があります。(ここでフーガの主題を実際に弾いた)。

苦しみに沈んだあと、フーガの逆行形が出てきます。楽譜には「少しずつ力が戻ってくるように」と書かれています。最後は喜びを持って、ピアノで生命への賛歌を歌うようです。

第32番については、後ほどお話しします』

 

一度袖に戻り、第30番から弾き始めた。第1楽章の優しい主題はケフェレックの気品に満ちた高音が美しい。下降パッセージも流麗。

第2楽章スケルツォのフォルティシモは充分力強いが、デッドな響きの会場では強さがそれほど伝わってこない。

第3楽章が良かった。主題はレガートでよく歌われ、第1変奏ではさらに大きなフレーズで歌っていく。軽やかな第3変奏の後の第4変奏が高貴。第5変奏は威圧感がない。最後の第6変奏はトリラーが続いた後の主題の再現が詩的だった。

 

ただ全体の印象としては、朝早いこともあり、本人がいまひとつ本調子ではなかったような気がした。聴き手としても午前1時半に寝て朝6時起きのため少し睡眠不足気味。もう少しいい条件(ホールも含めて)で聴ければ印象も変わったと思う。

 

 

第31番はこの日最も感銘を受けた。特に第3楽章。

 

第1楽章はケフェレックが言うようにベートーヴェンが自分に語りかけているような私的な雰囲気があった。

アタッカで入った第2楽章は一転激しい打鍵に変わる。下降音形とシンコペーションが交差する中間部は頑張っていた。

 

第3楽章の序章は深淵に始まる。「嘆きの歌」(Klangender Gesang)が切々と弾かれ、音が消えていく。その先からフーガの主題が霧の中から姿を現すように登場してくる。まるで映画の一場面を見るよう。力強く意志をもったフーガが頂点に達し、力尽きるように消えると、再び「嘆きの歌」が始まる。「疲れ果て、嘆きつつ」とベートーヴェンは指示している。これが深かった。クレッシェンドした後「次第に元気を取り戻しながら」とベートーヴェンが書いた転回形のフーガが始まるが、すぐ元の形に戻り高揚していく。奇跡のような回復ぶりだが、ケフェレックの演奏で聴くと、ベートーヴェンがすでに現世を離れ、天国で歓喜に震えながら闘争を続けているように思えた。

 

再びマイクを持って登場したケフェレックが一言。『普通ならここで休憩を入れるところですが(笑)』 本当にそう思う。精魂尽き果てるような演奏を行った後、さらに高い山に登らなければならない。

 

ケフェレックが話を続ける。『第32番については、エドウィン・フィッシャーの言った言葉を引用したいと思います。「第1楽章は人生における戦い。第2楽章はそれを超えたもの」 アリエッタという言葉、小さなアリア、小さな曲という言葉に心を動かされます。ビクトル・ユーゴーは「聴力を失った男は永遠を聞いている」と言いました。この曲は形而上的でスピリチュアル。主題と変奏は作品109と違い、大きな川の流れのようです。一番最後の音型は短い休符です。32曲を締めくくるのが、短い休符です。私はシェイクスピアの《ハムレット》最後のセリフ、「あとは沈黙」を思い出します』

 

第1楽章序奏は決然と弾きだした。提示部も充分な力強さ。

第2楽章アリエッタ主題は「祈りの音楽」のように弾く。ベートーヴェンはスイングするような第2、第3変奏で一体何を言いたかったのだろう?ケフェレックはどう考えているのか。第3変奏は動きが激しいがケフェレックが誠実に弾くと、常軌を逸したようには聞こえない。

 

32分音符が絶え間なく降り注ぐ第4変奏は天使がリズムを刻んでいるよう。

第5変奏は、アリエッタ主題が堂々と顔を出し、やがて長大なトリルと共にひそやかに歌われていく。最後に主題が祈るようにもう一度弾かれ、16分休符で終わる。ケフェレックは弾き終わると無音のかなたの永遠に続く沈黙を示すように動かなかった。

拍手はもうしばらく待ってほしかった。フライングが残念。