沼尻竜典 神奈川フィル ショスタコーヴィチ「交響曲第7番《レニングラード》」 | ベイのコンサート日記

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音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。

(4月15日・横浜みなとみらいホール)
豊潤な響きに満ちた《レニングラード》。最近何度か沼尻竜典の指揮を聴く機会があり、個人的な印象だが、彼のつくる音楽の特徴がつかめてきた。

 

一つには、響きのまろやかさ、滑らかさ。刺々しくない。温かい。

二つには全ての音がミックスされたときの色彩感の豊かさ。

三つにはハッタリや誇張がない、真っ直ぐな音楽。

オペラではこうした特長は力を発揮する。ドイツ古典派、ロマン派にも合う。しかし、ショスタコーヴィチでは、少し物足りなく感じられる。

 

プレトークで、マキシム・ショスタコーヴィチが語った父の話として、ドイツ軍の捕虜に対して彼らも国に帰れば家族も子供もいる普通の人間だと言ったエピソードを紹介した。沼尻はスネアドラムにのせた戦争の主題を「かわいらしい」とも話したが、その言葉通り、実演でも可愛らしさ、ユーモアが感じられ、恐怖や暴虐の印象は少ない。

 

沼尻は、第2楽章は「思い出」、第3楽章は「祖国への思い」、第4楽章は「勝利」を描いており、作品全体としてはレニングラードの人々を描いたのではないか、と話を結んだ。こうした観点は、今日の沼尻の指揮全体から感じられた。

聴き手が持つイメージとは異なる点もあったが、沼尻の解釈は筋が通っている。

 

コンサートマスターは石田泰尚。神奈川フィルは16型。バンダの金管は舞台上下手と上手、それぞれ上段に位置した。

 

第1楽章は壮大な「人間の主題」が出た後の平穏な第2主題が眠気を誘う。スネアドラムにのせた戦争の主題は冒頭に書いた通り、凄みは少ない。スネアドラムが3台となるカオスのクライマックスの音量は極大。最後の金管の斉奏は迫力があった。

 

第2楽章の第2ヴァイオリンによる主題はどこか浅い。副楽想を吹くオーボエがうまい。チェロがいい響き。全体は優しく人間的。トリオの小クラリネットもなかなかうまい。後半部のファゴット、バスクラリネットが温かい音。第2楽章はまとまりが良かった。

 

第3楽章は、コラール、ヴァイオリンによるレチタティーヴォ、ワルツ、という3つの要素で構成される。冒頭の強大なコラールと、続くヴァイオリンの透明な旋律にもうひとつ惹き付けられない。もう少し緊張感もほしいのだが。ピッツィカートにのせたフルート(ソロと二重奏)によるワルツが素晴らしかった。
 

熱情的な中間部はバンダの金管も入り、豪快に盛り上がって行くが、沼尻の指揮は温かく、凄みや凄まじさは少ない。こういう演奏が本来あるべき姿かもしれないが。

 

弦のコラールのあとのヴィオラによるワルツは、この楽章の聴きどころのひとつだが、

ここは今一つ深みがない。もったいないと思う。きれいに弾かれるだけで表面的。もっと深いものがあるはず。

 

第4楽章冒頭の曖昧模糊とした序奏から勝利のファンファーレがバンダにより盛大に奏でられ盛り上がる第4楽章は、とてもバランス良く進んでいく。最強奏でも破綻がない。バンダによる運命の主題に似たファンファーレも決まり、クライマックスが続く。コントラバスのバルトーク・ピッツィカートは、もっと激しくとも良かったような。

 

落ち着いた第2部モデラートになり、ゆっくりと進んでいく。フルートソロがここでも引き立つ。運命の動機が木管に始まり、コーダに向け、力を蓄えていく。ホルン群による勝利の運命動機が鳴らされ、最後は冒頭の「人間の主題」が、全金管群により輝かしく吹奏され、運命動機の勝利のファンファーレが吹かれ、最後はティンパニの強打を伴い、ステージ全体を揺るがすばかりの大音響で堂々と終わった。

 

最後まで破綻がない、バランスの良い指揮は沼尻竜典の真骨頂。沼尻と神奈川フィルの一体感が素晴らしかった。

カーテンコールを最後まで見届けられなかったが、石田泰尚を伴うソロカーテンコールがあったとのこと。
写真©RYOICHI ARATANI