高関健 シティ・フィル 佐藤晴真 カバレフスキー&ショスタコーヴィチ《レニングラード》 | ベイのコンサート日記

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音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。

(3月18日・東京オペラシティ)

ショスタコーヴィチ「交響曲第7番《レニングラード》」

一昨年の第8番を超える東京シティ・フィルの過去最大最高のショスタコーヴィチ!

プレトークで高関健はこう語った。

『プログラムに決まったのは、ロシアのウクライナ侵攻前。サンクトペテルブルク・フィルを2回指揮した。2019年にはマリインスキー劇場で團伊玖磨の「夕鶴」をシティ・フィルと演奏した。ロシアへの思いからこの作品を今指揮するのは万感胸に迫るが、あくまでひとつの作品として指揮したい。レニングラードという標題には特別のものは感じない』

 

このプレトーク通り、高関の指揮は終始冷静で客観的。情動に流されることはなかった。
作品と距離を置き、響きとバランスを冷静に見通す確かな視点が隙のない演奏の隅々に感じ取れる。コンサートマスターに荒井英治を迎えたシティ・フィルの結束は素晴らしく、終始引き締まった演奏だった。

 

第1楽章の12回繰り返される戦争の主題が全管弦楽に拡大した頂点で、冒頭の人間の主題がハ短調で登場する最大のクライマックスも、オーケストラをきっちりとコントロールし決して崩壊させない。

 

第3楽章アダージョは、作品自体が持つ美しさをきちんと聴かせる。

コラールとレチタティーヴォとワルツが並列されるが、

最初の強大なコラールの哀しみと、ヴァイオリンの悲痛さを秘めたレチタティーヴォ、竹山愛ともう一人のフルート奏者二人によるワルツは透徹した美しさ。

中間部の激しいモデラート・リソルートでのトランペット、ホルンも大健闘。

前半の再現での弦によるコラールとヴィオラのワルツ、全ての弦で弾かれる澄み切ったレチタティーヴォの美しさも忘れられない。

 

第4楽章は高関&シティ・フィルが強烈な集中力のある演奏を聴かせた。靄のかかった序奏の後、運命の主題がオーボエで吹かれた後、弦のユニゾンで躍動する主題が出て、金管やソロフォン、打楽器を加え盛り上がって行く。頂点ではバンダの金管に運命の動機が吹き鳴らされる。徐々に収まるとコントラバスが激しいバルトーク・ピッツィカートを繰り返す。テンポを落とし、重々しいサラバンド的な音楽が続く。

ホルンが運命の動機を勝利のファンファーレのように吹き鳴らし高揚していく中、冒頭の「人間の主題」が登場、運命動機が交錯する中ティンパニが第5番の最後の大太鼓のように叩かれ、壮大なクライマックスをつくり、演奏を終えた。

高関健の冷静な指揮にもかかわらず、演奏からただならぬ気合と熱気、深い感情が伝わってくるのは、作品本来の持つ力とともに、楽員の集中力、熱のこもった演奏によるものだろう。

 

前半の佐藤晴真を迎えたカバレフスキー「チェロ協奏曲」は、佐藤の艶やかなチェロが素晴らしかった。彼の音そのものに魅力がある。ここ3年の間に7回ほど彼の演奏を聴いているが、今日は一段とその音に磨きがかかり、蠱惑(こわく)的な音に陶然となった。フレージンクが信じられないほどに滑らかだ。ドヴォルザークを聴いたときは美し過ぎるので、もっと泥臭く演奏してもいいのではと思ったこともあるが、カバレフスキーのように民謡的な旋律が美しい作品では、ただその音に聴き入っていればよかった。

 

第1楽章の第1主題の甘い歌いまわし、第2主題の最後の再現のほれぼれとする艶やかな歌わせ方、第2楽章ラルゴの旋律はロシアの泣き歌「なぜお嫁にいく約束をしたの」からとられているが、佐藤の音は官能的なまでに美しかった。ホルンとの二重奏の中間部もオーケストラを食ってしまうほどの絶美な音。

カデンツァも深みがあった。

第3楽章も洗練された美音の連続。

 

佐藤晴真のチェロはハイクラスなチェロ、ハイグレードなチェロと呼んでもいいかもしれない。

ただ、アンコールのJ.S.バッハ「無伴奏チェロ組曲」第1番サラバンドは、深みという点ではまだ難しいとも思った。