サー・サイモン・ラトル ロンドン交響楽団 ワーグナー、R.シュトラウス、エルガー(ミューザ川崎) | ベイのコンサート日記

ベイのコンサート日記

音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。

(10月2日・ミューザ川崎シンフォニーホール)

ロンドン交響楽団(LSO)は以前、イギリスの音楽誌「グラモフォン」の「ワールド・グレーテスト・オーケストラ」のランキングで第4位となり、5位のシカゴ交響楽団よりも上の評価だった。ちなみに、第1位はロイヤル・コンセルトヘボウ管、2位がベルリン・フィル、3位がウィーン・フィルだった。
2019年、まさに上記の三大オーケストラをミューザで聴いて以来、実に3年ぶりに聴く(2020年ウィーン・フィルの公演もあったが、体調不良で欠席した)世界最高峰のオーケストラによる演奏は、素晴らしかった。ホールはほぼ満席。

 

楽員たちは拍手を受けて入場することなく、ステージにどんどん現れ、各自チューニングに余念がない。その音を聴くだけで驚愕した。日本のオーケストラの倍くらいの音量が聞こえてくる。

 

マネージャーらしき女性が、舞台袖をみながら指揮台の横に立っている。何をしているのか不思議だったが、どうやらマエストロが楽屋から出て、舞台袖に来ているかどうか確認していたようだ(ミューザの指揮者控室はサントリーホールよりも遠くにある)。彼女がコンサートマスターに合図をすると、正式なチューニングが始まった。

 

サー・サイモン・ラトルが登場。ラトルを聴くのは2018年のLSOとの来日以来4年ぶりだ。今年67歳。だいぶ貫禄がついてきた。

 

トリスタンとイゾルデ前奏曲と愛の死
15-13-11-9-8という変則的な編成(ミューザに確認しました)で、チェロは下手手前に配置された。

チェロのピアニッシモの音は、引き締まり乾いた音がする。オーボエをはじめ木管によるトリスタン和音もしっかりとした音で響く。弦は中身のみっしりと詰まった密度の濃い音。輝きのあるヴァイオリン、引き締まったチェロ、土台がしっかりとしたコントラバス、余裕が充分あるホルン。クライマックスに進むにつれ、分厚い層となって迫ってくる音に圧倒される。

「愛の死」はオーケストラのみの演奏。波が押し寄せるように高揚していくところも、ラトルLSOは耽美的になることなく、明晰で引き締まった音を維持した。

最初から盛大な拍手。ラトルは三度カーテンコールを受けた。

 

R.シュトラウス「オーボエ協奏曲」

ソリストはLSOの首席オーボエ奏者ユリアーナ・コッホ。LSOは10-8-6-5-3の編成。コッホの音はヴィブラートが少な目で、端正な印象。室内楽のように緊密な対話をオーケストラと繰り広げていく。個人的には、もう少しいろいろな音色や、ダイナミックの変化もほしいと思った。ラトルLSOは弦が磨き抜かれ華やかな音がする。4年前よりも洗練されていたように思えた。

 

コッホのアンコールは、ブリテン《オヴィディウスによる6つの変容》から「Ⅰ.パン」

ブリテンがオヴィディウスの著作『変身譚』から6つのエピソードを取り上げたもの。

妖精シリンクスに恋した牧神パンは、彼女を抱きしめようと追うものの消え去ってしまい、残ったものは両腕の上の葦(あし)の束だけ。失恋したパンが葦笛を悲しく奏でるという物語。ちょっと悲しいけれど、ユーモラス。

 

後半は、エルガー「交響曲第2番」。

編成はワーグナーと同じく、15-13-11-9-8。

来日前、9月11日にもバービカン・センターで同曲を演奏しており、完全に手の内に入った演奏。輝かしい音で色彩も豊か。ラトルが愛するミューザ川崎シンフォニーホールでの演奏だけあり、充実しきった名演だった。

 

弦の音の分厚さと輝き、ホルン、トランペット、トロンボーン、テューバなど金管の充実、木管の個性豊かな音、ティンパニの威厳ある打音など、エルガーのノビルメンテ(高貴な)音楽に、LSOほどふさわしいオーケストラはないだろう。


第1楽章では、「亡霊が現れる夜の庭での愛の場面」とエルガーが語ったという、弱音器をつけた弦で奏でられる第2主題の動機を使って奏する繊細な表情が良かった。展開部の金管にファンファーレ風の旋律が出るクライマックスの厚みと威厳ある演奏も素晴らしかった。

 

エドワード7世の追悼の意がこめられた第2楽章ラルゲットは特に感銘深かった。

葬送行進曲の弦の哀しみを秘めた表情。葬送行進曲の主題が悲劇的に拡張して再現するクライマックス、Nobilmente e Seplice(高貴に、そして素朴に)に至る過程は感動的だった。


第3楽章ロンド・プレストのスケルツォ主題のエネルギッシュな演奏は凄かった。

第1楽章の「亡霊が現れる夜の庭での愛の場面」が表情を変え力強く演奏される部分や、コーダの華麗で強烈な演奏は、それこそバービカンよりも良い演奏ではないかと想像するほど。

 

第4楽章は、ホルンで演奏される第1主題の品格、ノーブルな第2主題の弦の厚みが凄い。ポーコ・アニマートの対位法的な展開部で、金管が短いフレーズで盛り上げていくところは、大英帝国の威厳を感じさせた。

再現部も展開部以上に充実しており、金管群の壮大な響きがスケール大きな演奏となっていた。

最後は、水平線の彼方に陽が沈んでいくような荘厳さとともに、静かに演奏を終えた。

 

ラトルは日本語で「どうもありがとうございました。アンコールはディーリアスのインテルメッツォです」と告げ、「歌劇《フェニモアとゲルダ》」から 間奏曲」をLSOとともに演奏した。オーボエがとても美しく吹いた。

他のどの作曲家よりも、イギリスの風景を深く静かに描いたディーリアスの音楽は、秋にふさわしいものがあった。

 

演奏後ラトルはオーボエ奏者に近づいていき、握手して立たせた。

ソロ・カーテンコールになったとき、紙コップを持ったラトルが、まだステージに残っていたオーボエ奏者に再び近づき、そのカップを渡して労をねぎらっていた。

 

LSOの男性の楽員たちは、スタンドカラーのワイシャツ姿で、ネクタイやボウタイをしていなかった。マチネということもあるのか、あるいはパリ管弦楽団と同様、これが新しいスタイルなのか。演奏するときは、タイをつけなくてもいいので、楽そうだ。