辻彩奈が最初に一人で登場。バッハ「無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番より《シャコンヌ》」を弾いた。正確な音程と濁りのない重音、滑らかによく歌う旋律、加えて、名器グァダニーニを駆使した艶と輝きのある美しい音が素晴らしく、完璧な演奏で始まった。
ところが凄かったのはそれだけではなかった。第20変奏でこの曲の頂点に到達した後、突然静謐で柔和な世界が広がる第21変奏以降、辻彩奈はさらに別次元の高みに向かって上り詰めていった。
近年、シャコンヌはバッハの最初の妻であったマリア・バルバラの死に対する追悼曲だったという学説があると聞く。辻がそれを意識したかどうかはわからないが、神々しいまでの領域に入っていった演奏には、その可能性を信じさせるほどの深いものがあった
バッハのヴァイオリン協奏曲第1番と第2番でも、辻彩奈の艶やかで輝きのあるヴァイオリンは安定していた。2曲とも第2楽章での辻のソロの美しさが際立っていた。
角田鋼亮の指揮も良かった。辻を引き立てつつ、バランスの良い響きをオーケストラから引き出した。特に、チェロ、コントラバス、チェンバロの通奏低音の温かみと奥行きのある響きが素晴らしく、リズムと流れが心地よい。ヴィオラの対旋律もとても美しい。角田は全体として豊かな響きを作り上げた。
辻はトゥッティもオーケストラと一緒に弾いたが、辻のヴァイオリンはくっきりと浮かび上がっていた。第1番冒頭は辻が飛び出してしまったが、第2番はそういうことはなく、オーケストラとの一体感があった。
角田鋼亮は日本の若手指揮者の中で私が最も期待している一人。4日前の東京フィルとの名曲コンサートが粗い演奏だったので心配したが、今日のブラームス「交響曲第4番」は素晴らしかった。期待を充分満たしてくれた。
第1楽章出だしのため息の第1主題の繊細な歌わせ方からして素晴らしい。
第2主題の木管のハーモニーも美しい。日本フィルの各セクションの音が全て明解に聞こえる。ホルンやティンパニも充分に鳴らすが、決してうるさくならない。
そのため、ブラームスが書いた楽曲の精緻な構造が見事に浮かび上がってくる。
コーダは芯のある響きで充分な力感があった。
第2楽章アンダンテ・モデラートの冒頭のホルンの二重奏それに続く木管のハーモニー、弦のピッツィカートのまろやかな響きがとても良い。この作品で最も美しい旋律であるチェロによる第2主題とそれを装飾するヴァイオリンの細やかな動きに陶然となる。日本フィルの響きがいつになく細やかで美しくなったことに驚くと同時に、うれしくなる。
再現部でのこの主題の再現は、全ての弦で弾かれ、さらに第1、第2ヴァイオリンとヴィオラはそれぞれ2つの声部に分かれるので、分厚く重層的な響きになるが、角田日本フィルの演奏は重厚だが、重苦しくはないバランスの良い響きをつくっていた。
活気にあふれた第3楽章アレグロ・ジョコーソはエネルギッシュで切れ味があったが、全体のバランスが実によく、勢い余って激しくうるさくなるようなことは全くない。トライアングルも楽譜の指定のpやppを忠実に守り、繊細に叩かせていた。
第4楽章のシャコンヌの32の変奏の緻密な描き分けは見事。日本フィルも第12変奏でのフルートのソロを始め、第13変奏のオーボエとクラリネット、第14変奏のトロンボーンのコラール、第26変奏でのホルンの2重奏など、全員が素晴らしい演奏を聴かせてくれた。弦も第4変奏でのチェロとヴァイオリン、第6変奏でのヴィオラ、第8変奏でのコントラバスが美しい合奏を繰り広げた。
コーダまで一気呵成に進み、最後は歯切れよく終えた。
角田鋼亮の指揮は、はったりであるとか、過度な思い入れ、興奮がないため、熱狂という点でやや物足りなく思う人もいるかもしれない。
しかし、角田のように細部まで緻密で音楽的で、正統的な演奏を聴かせてくれる指揮者は本当に稀有な存在だと思う。
角田鋼亮の指揮は、音楽と共に自然に呼吸する感覚が常にあり、聴いていて細部まで心地よさを感じる。この先の彼の指揮がますます楽しみである。
辻彩奈©Makoto Kamiya