クシシュトフ・ペンデレツキ 東京都交響楽団 庄司紗矢香(ヴァイオリン) | ベイのコンサート日記

ベイのコンサート日記

音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。

625日、サントリーホール)

 ペンデレツキは全プログラムを指揮する予定だったが、高齢(86歳)に伴う体力的な問題のため、本人の申し出によりアシスタントのマチュレイ・トヴォレクが1曲目のペンデレツキ「平和のための前奏曲」を指揮した。

ホルン6、トランペット4、トロンボーン4(第1はバストランペット持ち替え)、テューバという金管にティンパニ、シンバル、小太鼓など打楽器が加わる編成。

 

 初めて聴く5分ほどの作品は金管のファンファーレで始まるが、やがて暗い部分になり最後は勝利を宣言するように明るく壮大に終わる。第1トロンボーン奏者が持ち替えのバストランペットに慣れないのか、冒頭の音を外したのは気の毒だったが、全体には引き締まった演奏だった。特にコーダはペンデレツキの平和を願う強い決意が感じられた。

 

 庄司紗矢香をソリストとするペンデレツキ「ヴァイオリン協奏曲第2番《メタモルフォーゼン》」は40分という大作。

 庄司は2013年ヤニック・ネゼ=セガン指揮ロッテルダム・フィルとのプロコフィエフ「ヴァイオリン協奏曲第2番」以来6年ぶりに聴いた。その時はアンコールのバッハを含めて繊細で美しいものの、聴き手に訴えかけるものがあまりないように感じた。

 

 しかし、今日は全く違う印象を受けた。庄司紗矢香は6年の間に長足の進歩を遂げ、大ヴァイオリニストに進化していたと言っても過言ではない。音楽のスケールが広大になるとともに、表現が信じられないほど深くなった。演奏にいささかの作為も感じさせず、文字通り自然体でどこにも無理無駄がない。演奏からただ音楽だけが浮かび上がってくることに驚愕した。その音楽はどこまでもやわらかく温かい。

 

 タイトルの《メタモルフォーゼン》のとおり、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲に似た4音連打が節目に現れ、それが合図となって独奏ヴァイオリンと管弦楽が主題動機を次々に変化させていく長大な作品は、庄司の素晴らしい演奏もあり、全く長く感じない。それどころか、もっと聴いていたいと思わせた。

 

ショスタコーヴィチ「ヴァイオリン協奏曲第1番」に似た後半部分に出る長大で激しいカデンツァは庄司の独奏が冴えわたった。重音フラジオレットやそのトリルなど超絶技巧の連続はアクロバティックな技術の披露ではなく、次のクライマックスを呼び込む必然的な音楽として感じられる。庄司紗矢香のソロは、ペンデレツキと都響の先頭に立って、彼らをけん引していく強大な力を秘めていた。

 独奏ヴァイオリンとオーケストラが静かに消えていくコーダは感動的だった。天国への階段を一歩一歩上っていくような何とも言えない安らかな気持ちと幸福感が感じられる。

 ペンデレツキの指揮も、弛緩するところがなく、自作を噛んで含めるように聴き手に伝えようとする丁寧さがあった。

 

 これだけの演奏の後にアンコールは必要ないと思っていたが、庄司はJ.S.バッハ「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番ハ長調BWV1005第3楽章ラルゴ」を弾いた。これは本当に深い感動を与えた。演奏を聴いていて浮かんだイメージは「聖母マリア」。やさしさに満ち溢れた響きは、すべての悩みや苦痛から解放されるようだ。聴く者はただただ幸福感と充足感に包まれる。多くのヴァイオリニストで幾度となく聴いた作品だが、庄司紗矢香の演奏はそれらすべてを凌駕する天国的な音楽だった。世界には多くの素晴らしいヴァイオリニストが存在するが、庄司紗矢香ほど聴く者を幸せにする奏者はいないのではないだろうか。

 

 後半はペンデレツキ指揮によるベートーヴェン「交響曲第7番」。冒頭の和音を聴いたとたん、何と美しい響きだろうと思った。各楽器の音が美しいハーモニーを創り、混濁せずきれいに響いてくる。テンポはインテンポで安定感がある。激しく主張するベートーヴェンではなく、美しい音で語り掛けてくる。ffもまったくうるさく感じない。

 

 第2楽章の主旋律に対するチェロの対位旋律のすっきりとした響きが美しい。クラリネットなど木管も伸びやかによく歌う。

 第4楽章もコーダに向かって、音楽が自然に盛り上がっていく。前半の庄司紗矢香のヴァイオリンと同じく、音楽が自然体であることが素晴らしい。よくある力任せの盛り上がるだけの第7番とは全く異なる。都響の演奏には集中力と心地よい緊張感が感じられ、楽員がペンデレツキの指揮に心から共感していることも伝わってきた。

 

 作曲家の視点で作品を虚心にとらえると、音楽だけが浮かび上がってくるようになるということなのだろうか。ベンジャミン・ブリテンが指揮したモーツァルトの録音を聴いて同じように感じたことを思い出した。

 

写真:()東京都交響楽団