アンドリュー・リットン 東京都交響楽団 三浦文彰(ヴァイオリン)(6月1日、サントリーホール) | ベイのコンサート日記

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音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。

都響のプロムナード・コンサート。副題は『五大大陸めぐり①「European Composers in America』。

今回はフレデリック・ロウ、エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト、アントニン・ドヴォルザークの作品が取り上げられた。指揮はアンドリュー・リットン、ヴァイオリンは三浦文彰、コンサートマスターは矢部達哉。

 

 フレデリック・ロウ(1901-88)はベルリン生まれのピアニスト、作曲家。1924年にアメリカに渡ったあと、金鉱探し、ボクサーなどの職業を転々とした後、自作「恋が忍び寄る」をデニス・キングという歌手が歌い注目され、1947年アラン・ジェイ・ターナーと組んだ「ブリガドゥーンBrigadoon」がヒットし、6年もロングランが続いて名声を確立した。

「恋が忍び寄る」の原題が”Almost Like Being In Love”だとすれば、このミュージカルでも歌われている。今やスタンダード曲として多くのシンガーや、ジャズ・プレイヤーにも歌われ、演奏されている名曲だ。

 

ロウ(コウレッジ編曲)「ミュージカル《マイ・フェア・レディ》序曲」は楽しかった。今回はブロードウェイのオリジナルではなく、映画に使われた版を演奏した。4分という短い曲だが、「君住む街角」「踊り明かそう」のメロディでは映画のシーンが浮かんでくる。リットンはニューヨーク生まれ。ミュージカルも親しんだことだろう。ゴージャスな響きを都響から引き出していた。

 

 

 エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト(1897-1957)はブルノ生まれ。21歳の時書いたオペラ「死の都」で絶賛を博すなど、当時のウィーンを代表する作曲家だった。1934年ハリウッドに招かれ映画音楽で高い評価を得たが、ユダヤ系だったためナチスが台頭するオーストリアに戻れなくなってしまい、ハリウッドに残りアカデミー賞でオスカーを二度受賞するなど映画音楽の巨匠として揺るぎない地位を築いた。現代にいたるまでコルンゴルトの音楽はハリウッドに受け継がれている。

 戦後は彼本来のクラシック音楽も作曲。今回演奏のヴァイオリン協奏曲は1937年に作曲されたが、1945年改訂、1947年ハイフェッツにより初演された。

 

 三浦文彰のヴァイオリンは生真面目な印象を受けた。楽譜に忠実に誠意をもって演奏していることは伝わってくるが、どういうアプローチでこの作品に向かっていくのか、という方向性は見えなかった。

 三浦とは正反対ともいえる解釈による、五嶋みどりの3年前の演奏を思い出す。カンブルラン&読響は今日のリットン&都響と同じく絢爛豪華な演奏だったが、五嶋みどりは映画音楽的な甘さとは無縁の、弱音で聴き手に集中と緊張を強いる厳しい演奏を展開し、別の作品のように聞こえた。

リットン&都響の豪壮な演奏にインスパイアされたのか、終楽章のフィナーレは三浦のヴァイオリンも華やかな盛り上がりがあった。

 

三浦のアンコールはパガニーニ「《ネル・コル・ピウ》の主題による変奏曲」より。
正しい全体の曲名表記は「うつろな心《ネル・コル・ピウ》の主題による序奏と変奏曲」。パイジェッロのオペラ「美しい水車小屋の娘」のアリアを、パガニーニがヴァイオリンに編曲したものだという。左手のピッツィカートやハーモニクスなどの奏法を駆使した難曲を、三浦はほぼ完ぺきに(多少の音程のズレはあるものの)に弾いて喝さいを受けていた。

 

後半はプロムナード・コンサートらしく、ドヴォルザーク「交響曲第9番《新世界より》」。

名曲であることは認めつつも、言葉は悪いが「手垢のつくほど」演奏されたこの作品を、リットン&都響は新鮮に聞かせてくれた。リットンは過去の演奏を頭から消し去り、リットンは初めて譜読みするようにスコアに向き合ったに違いない。リハーサルでも都響の楽員に、初めて演奏する作品と思うように、と言ったのではないだろうか。

 

リットンの指揮の特長としては、緻密さと丁寧さがあげられる。第1楽章序奏からフレーズの歌わせ方がきめ細かい。以降すべて緻密に進めていく。そのため改めてドヴォルザークの旋律やフレーズの美しさを味わうことができた。

民族性はあまりなく、現代の機能的なオーケストラの良さを生かした演奏だが、冷たくはなく、熱気がこめられていた。またリットンらしいというか、金管を豪壮に気持ちよく鳴らすので、爽快な気持ちになる。トランペット、ホルン、トロンボーン、テューバは名演だった。ヴァイオリンからは艶のあるひき締まった音を引き出し、チェロやコントラバス、ヴィオラの対位旋律がくっきりと浮かび上がってくる。

 

第2楽章のイングリッシュ・ホルンをはじめ、クラリネット、ファゴット、オーボエ、フルートのソロは良く歌っていた。

 

終楽章の盛り上がりは「新世界より」にふさわしいダイナミックな音の世界を堪能させてくれた。都響の聴衆はマナーが良く、最後の音が消えてもフライングの拍手は起こらない。おかげで見事な演奏の余韻を楽しむことができた。

写真:()東京都交響楽団