新日本フィルのコンサートマスターでもある西江辰郎と、アルトゥール・シュナーベル・コンクールとフランツ・リスト国際ピアノコンクール優勝(日本人初)の岡田将とのデュオ・コンサート。
前半のフォーレ「ヴァイオリン・ソナタ第1番」と後半のショスタコーヴィチ「ヴァイオリン・ソナタ」が素晴らしかった。
フォーレは明るく軽やかで上品な西江辰郎のヴァイオリンがフォーレの高貴な世界とマッチ、岡田将のピアノも西江辰郎に寄り添い良く合っていた。特に第2楽章以降が良かった。第1楽章が多少ばたばたしたように思えたのは、岡田が予定されていたサン=サーンス「ロマンス」と間違えフォーレを先に弾き始めてしまったたかもしれない。
どうなることかと思ったが、西江もさすがでニヤリと苦笑しながら、すぐさまフォーレに切り替えていた。
後半のショスタコーヴィチはフォーレで受けた西江の印象とまるで違う激しい演奏で衝撃を与えた。
西江が演奏前に語ったように、ショスタコーヴィチがオイストラフの60歳を祝い作曲したが、当時の社会主義体制に抑圧されたショスタコーヴィチの悲痛な叫びがありありと感じられる暗い作品でもある。
スケルツォの第2楽章が凄まじい演奏だったが、西江の表情はいつも通りの端正でクールなまま。その落差もあって強烈な印象を受けた。西江はイメージだけではとらえきれない内面的にかなり強いものを秘めているのではないだろうか。岡田のピアノも冴えわたり、ショスタコーヴィチは今日の白眉だった。
岡田はコンサートの最初にシューマン「献呈」と「幻想小曲集第2曲《飛翔》」を弾いたが、コンサート・ピアニストらしいホールに響き渡るような強い打鍵がシューマンの歌心を少し弱めていたように感じられた。しかし、西江の伴奏ではデュナーミクがコントロールされ、一体感が見事だった。
西江によるJ.S.バッハ「シャコンヌ」は、どこに頂点を持ってくるのか、そこに至る過程はどういう段階を経て行くのかという設計図が明確に示されていた。細部の仕上げについては、この先も時間をかけ練り上げていくのではないだろうか。
アンコールはエルガー「愛のあいさつ」だった。
オーケストラだけではなく、リサイタルや室内楽など演奏機会を積極的に求めて行く西江辰郎の姿勢は素晴らしい。
帰り際に2年前新日本フィルを指揮したマエストロ、ラルフ・ワイケルトが西江のことを素晴らしいコンサートマスターだと大絶賛しており、ぜひまた一緒に演奏したがっている話をお伝えした。