(11月12日、東京オペラシティコンサートホール)
バッティストーニの「グレート」は快速だ。
第1楽章13分、第2楽章13分、第3楽章9分、第4楽章11分、合計46分。繰り返しはなかった。
バッティストーニはこの曲をベートーヴェンの「第10交響曲」とでも位置づけたのだろうか。前のめりに激しく畳み込むようにアクセントや金管を強調して、驀進(ばくしん=まっしぐらに進むこと)していく。シューベルトの歌謡性やロマンティックな感情は消し飛んでしまう。
第1楽章序奏のホルンの始まりは表情が少ない。弦に引き継がれたあともたんたんとしており、思い入れは感じられない。第1主題、および第2主題は激しい調子で前へ前へと進む。トロンボーンの第3主題はppを維持するが208小節のアクセントを強調し、デュナーミクの変化をつけた。展開部はフォルティシモやスフォルツァンドが強調されベートーヴェンの交響曲のように激しい。再現部はさらにパワーアップし、トロンボーンをはじめとする金管が鳴らされ、コーダはさらに劇的に終えた。
第2楽章は感傷やロマンは少なく、オーボエのソロも速めのテンポで進む。美しい副主題はバッティストーニならもっと歌わせるのでは、と期待したがシューベルトの歌はほとんど感じられない。ただ、249小節の強烈なfffのあと全休止となり、チェロが美しい歌を歌い始め、続いてフルートが第2主題を奏で、木管と弦が対位法で次々に美しくからんでいく部分は、この日最も感動的であり、干天の慈雨のように心に染みわたった。
第3楽章スケルツォは、それまでの激しい展開の後では至極普通に聞こえてしまう。さすがのバッティストーニも更に激烈な演奏は楽曲の破壊になると踏みとどまったのではないか。トリオは明るく軽やかで、それまでの疲れを癒してくれた。
第4楽章は再びエネルギッシュに第1主題が爆発する。軽快な第2主題も推進力に満ちている。クラリネットが奏するベートーヴェンの第九「歓喜の歌」に似た旋律で始まる展開部ではトロンボーンを思い切り吹奏させた。まるで天が怒りを表すようでもある。バッティストーニはこの曲でトロンボーンをことのほか重要に考えているように思えた。
コーダに向かって弦のトゥッテイとホルンによるスフォルツァンドの強調はダイナミックの限りを尽くし、その勢いを維持したままコーダに怒涛のようになだれ込んで行った。
最後はブラームスの交響曲第1番の終結部も想起させる。シューベルトの歌謡性、ロマン、感傷、内面的なものはすべて激しい嵐に吹き飛ばされたような「グレート」。バッティストーニがこの作品をベートーヴェンの衣鉢を継ぐ曲と見たのではないか、シューマン、ブラームスへの橋渡しと位置付けたのではないかという推測は確信的なものになったが、音楽的にはどうか、あるいはシューベルトが願ったことなのか、という疑問も強く持った。
前半はロッシーニの歌劇の序曲3曲、「歌劇《アルジェのイタリア女》」、「歌劇《チェネントラ》」、「歌劇《セビリアの理髪師》」が演奏された。バッティストーニによるロッシーニは重心が低く、重々しい。シンフォニックな響きがあり、ロッシーニの軽さはない。ロッシーニというよりヴェルディのようでもあった。