山田和樹 日本フィル 萩原麻未(ピアノ) (9月7日、サントリーホール) | ベイのコンサート日記

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音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。


 2010年から日本フィルの正指揮者になった山田和樹、プレトーク冒頭本人曰く『いつも凝ったプログラムですみません(苦笑)』。今日のプログラムは日本の三善晃とフランスの作曲家、プーランク、デュカス、デュティユー。三善はデュティユーに私淑していたことから選ばれた。

 

トークで山田は、「勝手な思い出」と題して、作品や作曲家にまつわる個人的なエピソードを話したが、これが滅法楽しかった。

 

1曲目プーランク「シンフォニエッタ」を初めて指揮したのはパリ室内管弦楽団。リハーサル当日ホテルをチェックアウトするわずかな隙に、すぐ横に置いてあったカバンが消えていた。最初は盗まれたとはわからず、ひょっとして部屋に置き忘れたかと戻ったがやはりない。狐につままれたような気分になったが、防犯カメラを見ると犯人が映っていた。カバンにはスコア、燕尾服、そのほか一式全て入っていたという。幸い財布は身に着けていた。警察への被害届など出していたら、リハーサルの時間がとれなくなり、結局練習は1回通しただけで本番。

 

2曲目三善晃の思い出。

山田の母校「神奈川県立希望ヶ丘高校」校歌の作曲者と紹介。ピアノはソリストが使うのでチェレスタで、と山田は器用に旋律を弾いた。『2/2拍子。難しい混声合唱だが、素晴らしい校歌。入学式で初めて聴き頭を殴られたようなショックを受けた。三善先生の《レクイエム》を東京混声合唱団で指揮することになりお会いした。吹けば飛ぶような小柄な方で驚いた。「先生の世界に近づけますかどうか」としか言えなかったが、「信じてますから」とおっしゃっていただき、本当にうれしかった。ブザンソン優勝の時にも「山田君の果実がさらに充実していくように」と励ましていただいた。』

 

3曲目デュカス:交響詩「魔法使いの弟子」。

ディズニー「ファンタジア」で使われたストコフスキー版。ストコフスキーを尊敬している。編曲、大胆な改変では変人扱いされているが、個人的には彼の編曲は的を射ていると思う。腑に落ちる。

 

 4曲目デュティユー「交響曲第2番《ル・ドゥーブル》」
ドゥーブルはダブルのこと。小さなオーケストラを囲むように大きなオーケストラが位置する。鏡のような効果を楽しんでください。現代音楽にギリギリ入る。美しい曲です。

 

最後ソリストの萩原麻未さんについて。最高の褒め言葉としてですが、一言で言うと悪魔的です。健康的ですがインスピレーションが次々と出てくる。すごいです。

 

 

以上長文ご容赦。肝心の演奏はどうだったのか。

 

三善晃「ピアノ協奏曲」が最も面白かった。萩原麻未は山田和樹が言うように、憑依したがごとく、長い髪を振り乱しての熱演。鍵盤と文字通り格闘するように、音を刻み続ける。日本フィルも最大音量で咆哮する。さすがの萩原のピアノもその音量にしばしばかき消される。オーケストラとソリストは一丸となり突き進む。リズム感、強弱、ここぞというクライマックスの創り方に、フランス音楽の影響を受けたにせよ、三善晃の日本的な感性と、それにすんなり同化していく山田和樹日本フィル、萩原麻未の日本人演奏家としての感性をはっきりと感じた。作品との相性の良さはまさに「血」というものだろう。

 

プーランク「シンフォニエッタ」は、粋な響きとまでは行かない。弦は濁り、アンサンブルの精度がもうひとつ。

デュカス「魔法使いの弟子」のストコフスキー版はテューバが使われていることだと言う。演奏は楽しめた。ファゴットのソロが出色。

 

デュティユーは、2つのオーケストラの対比が、はっきりと住み分けられていないように感じた。2年前カンブルラン読響で聴いたときも同じような印象をもった。だとすれば、それは演奏者ではなく、デュティユーのオーケストレーションに問題があるのではないだろうか。ふたつに分かれたオーケストラのミラー効果、響き合い、あるいは対話がなかなか聞き取れないのは作品自体のせいかもしれない。

 

写真:山田和樹(c)Yoshinori Tsuru