飯森範親 東京交響楽団 アレクサンダー・ガヴリリュク(ピアノ) | ベイのコンサート日記

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音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。



(112日、サントリーホール)

 プロコフィエフ「古典交響曲」のテンポはゆったり。12型対向配置。東響の弦は響きが良く潤いがある。飯森の指揮はリズム感があまり感じられないが、第4楽章はきびきびとしていた。東響の木管はみなうまい。この楽章はフルートが肝だが、二人とも素晴らしかった。

 

 今夜の主役は何といってもアレクサンダー・ガヴリリュクだ。プロコフィエフのピアノ協奏曲第1番は、力任せの剛腕ピアニストとは正反対のアプローチであり、音が美しく、気品がある。響きの作り方が精巧で、洗練されたピアニストだと言える。第1楽章と第3楽章のカデンツァは、激烈に弾くが決して音が汚くならない。第1楽章冒頭の力強い主題が回帰する第3楽章コーダの全身を使った打鍵と、そこから生み出される力強い音は、清冽でみずみずしさを保っていた。

 アンコールに、ムソルグスキー「展覧会の絵」から「キエフの大門」を弾いたのは、次に控えるラヴェルの管弦楽版と比較してください、というサービスだが、オーケストラに負けない色彩感と、会場全体に広がるスケールの大きい響きに感嘆した。それに加えて格調が高く、音楽性が深い。

 拍手とブラヴォに応え、興奮を鎮めるように弾いたアンコール2曲目、モーツァルトのピアノ・ソナタ第10番ハ長調K.3302楽章が素晴らしかった。ガヴリリュクの本質は、モーツァルトにあるのではないか。悲しみと喜び、諦念と希望が表裏一体となり、儚い夢のように光と翳が瞬時に入れ替わる。気品のあるひとつひとつの音に意味がこめられており、モーツァルト自身が私たちに語り掛けてくるような趣があった。

 

 16型に増強された編成による、後半のムソルグスキー(ラヴェル編)の「展覧会の絵」も、飯森のテンポは遅い。巨大に聳えるような大伽藍を描く意図があったのだろう。ただ、土台がしっかりとしていないので、大伽藍が左右に揺れてしまう。「グノムス」も小さな妖怪ではなく動きの遅い巨人のようだ。「古城」は時が止まるよう。「チュイルリー」の子供たちも活発ではない。「ビドロ」は、テンポの遅さが幸いしていかにも重々しく、これは合っていた。テナー・テューバのソロも良かった。「リモージュの市場」はテンポが速く自然。最後の「キエフの大門」はじっくりと進める。飯森の壮大に描こうとする意図は分かるが、柱と土台が強くないので、大きな音の割には迫力を感じない。
 東京交響楽団はジョナサン・ノットの指導力で、演奏能力が飛躍的に高まってきている。金管の輝かしさ正確さ、木管の安定、低弦の充実、弦の美しさなど、東響の魅力は充分伝わってきた。

 

写真:アレクサンダー・ガヴリリュク(cMika Bovan、飯森範親(c)東京交響楽団