キリル・ペトレンコ指揮 バイエルン国立管弦楽団 特別演奏会  イゴール・レヴィット(ピアノ) | ベイのコンサート日記

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音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。


(917日、東京文化会館大ホール)
 来年からベルリン・フィルの首席指揮者・芸術監督になるキリル・ペトレンコが、バイエルン国立歌劇場とともに来日。1日だけオーケストラによる特別コンサートを開いた。

 前半は、イゴール・レヴィットを迎えて、ラフマニノフの「パガニーニの主題のよる狂詩曲」。超満員の会場。期待をもって臨んだが、期待通りの素晴らしい指揮を聞かせた。

 何が素晴らしいか。

1に、音楽の本質をつかみだすこと。第2に、明確な構築性、立体性があること。第3に、旋律の歌わせ方が素晴らしいこと。

 ラフマニノフでは、第11変奏の弦のトレモロのピアニシモが驚くべき繊細さを持っていた。そして、第18変奏のメロディーの歌わせ方が素晴らしい。

 ピアノのイゴール・レヴィットは、2004年浜松国際ピアノアカデミーコンクールで優勝しているので、日本とは縁がある。レヴィットの音楽はキリル・ペトレンコと共通するものがある。彼もまた、音楽だけを聴かせるアーティストだ。そして弱音がいい。アンコールのワーグナー(リスト編)「イゾルデの愛の死」のコーダの弱音には感銘を受けた。

 

 マーラーの交響曲第5番は、美しい演奏だった。これまで幾度となく実演で聴いたが、これほど純粋で音楽的な演奏は初めてだ。ペトレンコの指揮からは、およそ、これみよがしのハッタリや、誇張、情念に偏った音楽は聞こえてこない。
 バイエルン国立管弦楽団は優秀なオーケストラだが、ベルリン・フィルやコンセルトヘボウと並ぶ超一流のオーケストラとは言えない。そのためもあって、第1楽章から第3楽章まで、肝胆を寒からしむほどのインパクトを感じることはなかった。ただトランペットとホルンのソロは立派だったし、第1楽章第2トリオの弦の響きは深く、第2楽章のチェロの第2主題も素晴らしかった。

 第4楽章アダージェットは、それほど遅くも粘ることもなく始まった。中間部の第1ヴァイオリンによる不安で情熱的な旋律は、まるでオペラアリアを聴いているようによく歌った。そして、後半が良かった。対向配置のヴァイオリンとヴィオラ、チェロの旋律が重層的に明快に描き分けられ、純粋な美の世界を築いていった。
 休みなく続いた第5楽章は、美しい演奏の極致。特に弦の響きが素晴らしい。最強部分でも音は混濁せず、各セクションのバランスがとれている。最後の金管のコラールは、のびやかでみずみずしい。ペトレンコの指揮で聴くと、音楽とはこれほど純粋で美しいものだったのか、という新鮮な驚きを感じる。ベルリン・フィルが彼を指名した理由がよくわかる。

 

もう一点気づいたことを書き忘れていた。ペトレンコとバイエルン国立管のマーラーの5番は、特に静かな部分では、室内楽的な精密さ、繊細さ、を感じさせた。おそらく、ベルリン・フィルでこの曲を指揮したら、解釈の基本は同じにしても、印象はずいぶん違うのではないだろうか。ベルリン・フィルなら、もっと自主的に弾くだろうし、ペトレンコもそれに応じる形で、臨機応変に変わるだろう。なによりも巨大なスケールが加味されるだろう。歌劇場のオーケストラのバイエルン国立管は、お互いを聴きあうことに長けており、その点で繊細さを持ったオーケストラとも言えるだろう。室内楽的な繊細さは、そこからきているのではないだろうか。

明日はワーグナー「タンホイザー」のゲネプロがあり、101日にNHK音楽祭で「ワルキューレ」第1幕(演奏会形式)を聴くが、オペラ指揮者としてのペトレンコの真価を体験できるだろう。