上岡敏之 新日本フィルハーモニー交響楽団 ヴァレリー・ソコロフ(ヴァイオリン) | ベイのコンサート日記

ベイのコンサート日記

音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。

(48日、すみだトリフォニーホール)

 これほど美しいブラームスのヴァイオリン協奏曲を聴くのは、初めてかもしれない。ソコロフのヴァイオリンは、激しい重音ですら美しく、濁らない。音は艶やかで音程は完璧。技術は安定しており、歌いかけるようなヴァイオリンはコロラトゥーラの天国的な歌を聴いているようだ。上岡敏之新日本フィルは、ソコロフのヴァイオリンを決して邪魔しない。ブラームスの田園交響曲と言われる交響曲第2番のような、ゆったりとしたテンポとおおらかな表情で、細やかにソコロフを盛り立てていく。第2楽章では古部賢一のオーボエのソロが美しかった。ソコロフがあまりに素晴らしいので、第2楽章は一体どこまで彼のヴァイオリンの美しさに酔えるのだろうか、と期待に胸をふくらませたのだが、第1楽章で感心し過ぎたのか、それを上回る驚きはなかった。もちろん充分満足できたのだが。上岡&新日本フィルは、ホルンなど金管もしっかりと鳴らし、ダイナミックさも不足なく、第3楽章ではソコロフとともに、堂々とした演奏を展開した。ソコロフのアンコール、イザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番「バラード」も完璧で美しい。技術的にはソコロフと並ぶヴァイオリニストはほかにもいるだろうが、これほど音が滑らかで美しいヴァイオリニストは少ない。チュマチェンコに師事したという(ほかにクレーメル、クシュニールにも師事)経歴から、ソコロフの長所は想像できる。ステージ上でいかにヴァイオリンを美しく鳴らし、説得力を持って聴衆に語りかけるのか。ヴァイオリニストとしての最も大事な素質のひとつを、ソコロフは見事に体現した。

 

後半のドヴォルザーク交響曲第7番は、第3楽章スケルツォが、浮揚感があって一番聴き応えがあった。上岡の音楽には、他の指揮者にはない洗練されたものがある。全体はしなやかで、リズムが生き生きとしていて、活気のある演奏だった。欲を言えば、そこに一本の太い柱が貫かれていたら、深く重いものが含まれていたら、果たしてどういう音楽になるのだろう、という思いはある。民族的な響きや泥臭さではない。音楽の張りのようなものが欲しい。深く重いという要素は、上岡の目指す方向とは違うかもしれない。ただ、これまで深く感動した上岡の演奏会では、そうしたコアなもの、ガツンと来るものを感じたことは確かだ。411日発表の来季のプログラムには、初めて上岡のカラーが打ち出されてくる。上岡敏之と新日本フィルが歩みだす新たな時代を大いに期待したい。

写真:ヴァレリー・ソコロフ(c)Simon Fowler、上岡敏之(c)Naoya Ikegami