下野竜也 読売日本交響楽団 三浦文彰(ヴァイオリン) お別れのコンサート | ベイのコンサート日記

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音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。


 

(319日、東京芸術劇場コンサートホール)

 今月で読響の首席客演指揮者を退任する下野竜也のお別れのコンサートは、10年前に正指揮者就任のさい指揮したドヴォルザーク「新世界より」がプログラムに選ばれた。
 最初にパッヘルベル「カノン」が弦楽とオルガンで演奏されたが、弦の配置が面白い。下野の前に半円形で通奏低音を受け持つチェロ10人、コントラバス8人とオルガンが並び、舞台奥の壁際、下手、中央、上手にヴァイオリン奏者が10人ずつ、立って並ぶ。ヴァイオリンが2小節ずつずれていくのが弓の動きでよくわかる。視覚的効果満点だ。

 

 2曲目は、三浦文彰のヴァイオリンでフィリップ・グラスのヴァイオリン協奏曲第1番が演奏された。ミニマル・ミュージック(パターン化された音型を繰り返す)で、3楽章とも同じような旋律を絶え間なくオーケストラとヴァイオリンが奏でる。30分にわたり続くと睡魔が襲う。三浦文彰は宗次ホールから最近貸与されたばかりのストラディヴァリウスを弾いた。美しく繊細な音色だった。

 

 後半のドヴォルザーク交響曲第9番「新世界より」は、16型のフル編成。読響の力強い弦や金管、木管の実力が発揮された推進力ある引き締まった演奏だが、訴えかけてくるものが少ない。音が正確に鳴っているとしか感じられない。ところが、第4楽章再現部に入ってすぐ、第208小節目のfffから、急に音楽が深くなった。厚い霧が晴れるような、モノクロからカラーに急に変わったような感覚を覚えた。あの突然の変化は一体何だったのだろう。第1楽章からあの深みが出せなかったのか。下野の解釈では、再現部からあのように深い音楽として捉えているのか。実に不思議だ。

 

 アンコールは、パッヘルベルのカノンのフルオーケストラ版。これは豪華だった。しかし、そこは一筋縄ではいかない下野竜也。ハイドンの「告別」のように、金管、木管、弦の順で、奏者たちが次々と舞台から去って行く。最後は、コンサートマスターの小森谷巧と下野竜也だけになり、二人は左右に分かれ去って行った。粋な演出に場内は大喝采だった。明るいお別れ会だ。編曲は読響打楽器奏者の野本洋介だった。下野竜也へのはなむけとなった。

 

 プログラムのインタビューで下野竜也は「自分の役割を貫き通せた」と述懐している。ドヴォルザークの交響曲全曲演奏、ヒンデミットの積極的な紹介、知られざる名曲大曲をつぎつぎと取り上げたことなど読響とともに音楽界に大きな足跡を残した。お疲れさまでした。広島交響楽団の音楽監督としての新たな活躍に期待したい。

 

写真:下野竜也(cNaoya Yamaguchi