(2014年12月21日日曜日 王子ホール)
ようやくアリーナ・イブラギモヴァのバッハを理解できたのは、なんと最終曲「パルティータ第3番」になってから。素晴らしい演奏だということは聴いてすぐわかったが、その本当の魅力まではつかみ切れていなかった。気づくのが遅すぎる。しかし、最後になったが、わかってよかった。あやうく大きな魚を逃すところだった。
私なりに理解したアリーナ・イブラギモヴァのバッハの特長をまとめると、こうなる。
1. 全体の構成と流れの見事さ。緩急と曲ごと楽章ごとの表情づけの的確さ。
ひとつずつ煉瓦を設計図通り積み上げていくような着実な歩み。あとからふりかえると全体の構成がみえてくる演奏。ひとつひとつのフレーズは考えに考え抜かれ、これしかないという確信が伝わってくる。緩急の対比はすごい。特に速いパッセージの鮮やかな表現力に瞠目。
2. 曲の掘り下げの深さ。シャコンヌが一番いい例。30の変奏が一本の太い糸で通され、ごく自然な発展の流れができるとともに、ひとつひとつの変奏の表情が深い。
3. 技術。全曲暗譜でほぼ完ぺきに弾く技術。それとフーガほかの明晰な重音の素晴らしさも特筆すべき。声部がはっきりと浮かび上がってくる。
4. 音色。実はこれが一番の魅力かもしれない。真っ白な白磁の磁器に、あでやかな色彩を施すような、繊細で多彩で豊かな色彩感。よく聴いていると次々に色が浮かんでくる。最初はそれがわからなかった。大理石のようにひんやりと冷たい感触だと思っていたが、とんでもない間違いだった。その多彩なこと。眩暈がするくらいだ。最後の最後になって、このことに気づくとは何たる不覚!もったいない。
5. 感情や人間的な表現については押えられている。そのため最初冷たい印象を持ってしまったが、イブラギモヴァのバッハは情に溺れたり流されたりすることはない。個人の感情を演奏にこめたり、あるいは演奏からJ.S.バッハの人間像を浮かび上がらせるようなものではない。偉大なこの作品の構成、構造、響きを明らかにすることに力が注がれている。
1曲ごとに書き始めると切りがないので、特に印象深かったものについて書きたい。演奏は後半がより素晴らしかった。
やはりパルティータ第2番の「シャコンヌ」。主題の重音の明晰さと存在感。第11変奏から盛り上がって行く推進力。第16変奏以降の重音の響き。第25変奏からコーダまでの充実。ソナタ第3番の第2楽章フーガのひそやかな開始から深く入っていくありさま。第4楽章アレグロ・アッサイの目も覚めるような速い輝かしい演奏、そのなかから旋律線がくっきりと浮かび上がってくる快感。パルティータ第3番のふたつのメヌエットの描き分け。第7楽章ジーガのユーモア。前半ではパルティータ第1番全体が素晴らしかった。
いくらでもあるけれど、これくらいに。幸いCD(hyperion)でも生の良さが充分伝わってくるのはありがたい。何度も聴いて思い出したい。
(c)Sussie Ahlburg