ナヌート&紀尾井シンフォニエッタ東京の「未完成」と「英雄」 | ベイのコンサート日記

ベイのコンサート日記

音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。




紀尾井シンフォニエッタ東京 第96回定期演奏会

920()14時 紀尾井ホール

指揮:アントン・ナヌート

コンサートマスター:千々岩英一

ベートーヴェン:レオノーレ序曲第3Op.72b

シューベルト:交響曲第7番ロ短調D759「未完成」

ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調Op.55「英雄」


1932年スロヴェニア生まれのナヌートは今年82歳。膨大な廉価盤CDがあったが今はほとんど市場から消えており、幻の巨匠と言われたこともあった。2009年の初来日に続く20132月に紀尾井シンフォニエッタ東京を指揮したブラームスの交響曲第4番他のプログラムで初めて彼の指揮を聴いたが、年齢を感じさせない若々しくエネルギッシュなもので、格調のある懐の深い音楽に感激した。今回はベートーヴェンとシューベルトの名曲をとりあげるというので、期待してでかけたコンサートだった。

「レオノーレ序曲第3番」は出だしから重厚。第1ヴァイオリン8人、第26人、ヴィオラ6人、チェロ4人、コントラバス2人ほか管楽器という室内オーケストラとは思えない重々しく響く音が印象的だ。しかしその響きや音色に艶やかさがなく、室内オーケストラにありがちなギスギスとした印象を受ける。舞台裏から聞こえるトランペットもどこかさえない。


シューベルトの「未完成」も「レオノーレ」と似た印象で、響きやふくらみが少なく潤いが少ない。しかし、第1楽章展開部の低音はよかった。河原泰則、吉田秀という2台のコントラバスから太く厚ぼったい響きが充分出てくる。ところが、そこだけが良くそのあとに続く部分で音楽的な高揚感がわいてこない。前夜に同じプログラムを演奏した疲れが残っているのだろうかと推測してしまう。


ただ名誉のために一言付け加えなければならない。「レオノーレ」も「未完成」も、音楽の運び方、序奏あるいは主題から始まって展開を経て結尾に向かう流れ、クライマックスへ向かう力の集中には、ナヌートならではの巨匠的な風格があったことは確かだ。ナヌートはピリオド奏法には全く目を向けない指揮者で、旋律線と和声の透明度を追及するタイプではない。室内オーケストラにもフルオーケストラと同じような厚みと重い音を要求する。その意味で昨年に続き今回もナヌートの指揮をフルオーケストラで聴きたいと思う事しきりだった。


後半のベートーヴェン「英雄」は前半より音楽に勢いがあったが、まだどこか乗り切れていないところがあった。そんななか、第1楽章の長大なコーダが始まったあたりで、ナヌートのカンマーバンド(タキシードのとき腹部に巻く帯)がカチッという音がして外れ、下に落ちてしまった。しかもナヌートの両足を囲む形だ。オーケストラのメンバーは驚いたのか、一瞬音色が変わった。ナヌートは気にせずそのまま指揮する。オーケストラは落ち着きを取り戻し、音色も響きも格段に良くなった。この日の演奏は、前半が冴えなかったが、このハプニング以降見違えるように生気をとりもどした。それはまるで薄く立ち込めた霧が晴れるような感じであった。

そうだ、この音を聴きたかったという思いが広がる。こんなハプニングで音楽が変わることもある。災い転じて福、怪我の功名かもしれない。ナヌートは指揮しながら、うまく片足を抜いてカンマーバンドを指揮台の下に蹴とばした。さすがに巨匠、少々のことでは動じない。


ナヌートは見違えるようになった紀尾井シンフォニエッタ東京とともに第2楽章の「葬送行進曲」で緊張感を保ったまま指揮、展開部の三重フーガも悲壮感たっぷりに聴かせる。第3楽章スケルツォには休みなく入っていき、コーダのフォルティシモを重厚に響かせる。第4楽章へもそのまま入り、王道を行く音楽をくりひろげる。展開部の第5変奏ではコントラバスが2台とは思えない重低音を鳴らす。最終の第7変奏の高揚感も素晴らしい。コーダも堂々と決まる。ようやくナヌートが本領を発揮した演奏を聴くことができ、満ち足りた気持ちで会場を後にした。


なお後日、紀尾井シンフォニエッタ東京のある楽員から聞いた話によると、ハプニングに気づいたのは1列目のメンバーぐらいだったという。確かに演奏に集中していれば指揮者の足元までは目がいかないものだ。しかし弦の首席、副首席は気づいたはずであり、なによりナヌート自身があせったことは確かだろう。あのハプニングがナヌートに動揺をもたらすのではなく、停滞していた音楽に活を入れ、本来のナヌートが蘇るきっかけとなったと今も思っている。