んにちは、こんばんは。ばやんです。

 

久々の投稿になりました!

番外編の続きを書きましたので

ご一読いただければ幸いです。

 

 

 

ぐちゃぐちゃになった心を

取り戻す期限は三ヶ月でした。

 

もう少し詳しく説明すると、

三ヶ月で復帰しなければ懲戒解雇でした。

 

私は焦りました。

 

あんなに憧れて飛び込んだ教員という仕事を

あと三ヶ月以内で治療して

復帰しなければならない。

 

そもそも、あと何日で布団から

出なければならないのか。

 

何時間で、何分で、何秒で。。。

私は毎日時間に追われ、そして

 

これ以上

家族に

子どもたちに

迷惑をかけられない。

 

という強い強迫観念にかられていました。

 

母親は急に態度が変わりました。

 

「無理しなくていいよ」

「今までごめんね」

「ゆっくりしようよ」

 

その優しげに見える言葉たちの裏に

勝手に刃を感じていました。

 

すでに言葉が

「言刃」

にすりかわっていたのです。

 

子どもたちからの温かい手紙も

読むことができず、

自分を攻める道具にしかなりませんでした。

 

毎日、毎日時間を数え、気が付けば

リストカットを始めていました。

 

切りすぎて血が止まらず、

救急で縫うこともありました。

 

そんなときですら、

仕事のことばかり考えていました。

 

早く仕事をしなきゃ、

普通にしなきゃ、

フツウニナラナキャ。

 

もはや、あの瞬間に一度

心は壊れきっていました。

 

誰のどんな言葉も「言刃」になり、

自分は傷だらけになり、

布団からは出れず、食事だけは一人前に食べ、

心だけはいつまでも半人前で。

 

 

 

結局何一つ変わらず、職場復帰の日になりました。

 

医者は止めました。

 

「復帰にはまだ早い。人生は長いんだから

教員で居続ける必要ないんだよ。」

 

母は言いました。

 

「無理しなくたっていいんだよ。

行けなきゃ行けないでまだ、

学校が何とかしてくれるよ。」

 

 

違うんです。

僕はただ職場復帰したいんじゃないんです。

 

 

普通になりたいんです!!

 

 

普通の教師として、

笑顔で子どもたちの前に立ち、

職員室では笑顔で会話をし、

いわゆる「普通の」【普通の!!】

人になりたいんです。

 

結局誰もが止めても「普通」に拘る私自身が

誰よりも出勤を決意し、

布団から数えること7,776,000秒は

遂に0秒になりました。

 

久々の通勤、母親が乗せてくれる

車通勤でしたが、めまいと嗚咽で

何度も立ち止まりました。

しかし、強く「普通」でありたいという、

一種の病的なまでの固執で

職場までたどり着くことができました。

 

この頃、鬱は重篤で、幼児退行、

リストカット、断片的な記憶喪失など

多くの弊害がありました。

 

ここまで書けたのは鬱と向き合うように

なってから母親に聞いたことです。

 

私の鬱の根因には幼少のみぎり、

父親の様々なDVが関わっています。

鬱になっても一緒には暮らしていましたが、

その頃にはすでに

関わりを持たない関係になっていました。

 

私には父親はいません。

今ではそう思っています。

 

 

 

さぁ、復職だ。

私は鬱になんか負けない。負けてやるもんか。

 

続く。