今日は、2番「女教皇」について書きたいと思います。
マルセイユタロット2番「女教皇」。
ウエイト版では「女司祭」と呼ばれるこのカード、とても大事な、譲ってはならない一線を表すカードです。
マルセイユ版・女教皇
ウエイト版・女司祭
ここ数年、ご時世的なことを占ってみるとよく「女教皇」が出ます。
長い人類史の中で、この線を侵略されてきたものが、
「いや、ダメなものはダメでしょう!?」
ということが噴出しているのだと思います。
2020年以降の世の中で、「女教皇」について考えさせられてきました。
体の線に圧力をかけられるなんてことは、本来は「あってはならない」のです。
ここから一歩も通さない
理屈も法律も通さない
誰の声も届かない
友達も恋人も入れない
手掛かりになるのは薄い月明り
(「月の爆撃機」 THE BLUE HEARTS 作詞作曲:甲本ヒロト)
どの国の法律がどうだとか、どこのコミュニティの慣習がどうだとか、そんなことより先んじて絶対的に優先されるべきもの。
他人がずかずか上がり込んだら、心を壊してしまいかねない一線。
ここを守るために、自然にリミッターがかかったり、五感や記憶がマヒすることすらあるという。
現実の世の中には、いろいろな苦しみや悲しみが渦巻いている。
あってはならないことがあることもたくさんある。
それでも、韓国ドラマ「チャングムの誓い」の主人公のセリフを思い出す。
誇りは踏みにじられても消えはしない。
自分が消さない限りは。
(ドラマ 「チャングムの誓い」 第46話)
上手く表現できないけれど、たぶん、このセリフのようなことなのだろうと思います。
「女教皇」を習う時に、私の先生からいろんな言い回しで習いました。
自分らしさの元とか、タネとか、DNAとか、核(コア)とか、職人の勘とか、動物の本能とか、体質とか・・・。
自分が自分であることの誇り、人権や、アイデンティティのようなものは、
たとえ踏みにじられることがあったとしても、消えたりしない。
失うのはむしろ、踏みにじった方でしょう。
魚が針を飲み込んでも自然に排出することがあるけれど、私は「女教皇」にそんなイメージがあるのです。
植物のタネってエネルギーの塊です。
あんまりそういう生命力を侮らない方がいいと思います。