⑦ の つづき

初戦 (小勢同士の争い)で敗れた
尼子勢でしたが

いよいよ本格的に城攻めを行うべく
尼子本隊が風越山の本陣から

吉田郡山城の南西、わずか1㎞ほどの
距離にある青山と三井山

(総称は青三井山)に本陣を移し
湯原宗綱、湯(ゆの) 惟宗らは青山

高尾久友、黒正久澄、吉川興経らは
三井山に陣取った

これに対し、元就は
手薄となった風越山の陣を

中原善右衛門、井上長門守以下
780名の部隊で急襲して

残営を焼き払った


九月から始まった戦いも
すでに十二月となり

その間、尼子勢は
大軍を擁しながらも元就の策略や

伏兵を駆使した戦術に翻弄されて
未だ郡山城を落とせずにいた

ただ、兵力では
尼子方が圧倒的に有利であり

対峙するだけでも威圧感ハンパない!
という状況だったでしょう

それに、どんどん減っていく兵糧、、
こんな状態が続けば

今、毛利に味方してくれている
近隣の国人領主たちも

不安に駈られて
尼子方に走ってしまうかもしれません

郡山城から望む青山 (左)と三井山 (右)

元就も不安な気持ちで
この景色を眺めていたのかもしれない


そんな十二月三日の朝
郡山城の南東にある住吉山に

無数の旗が翻ったのです
それは、元就がかねて援軍を懇請していた

大内氏の旗印だったのです


⑨ に つづく

城跡巡り 173-⑧   ( ´Д`)
安芸高田市吉田町   吉田郡山城跡