都之城跡の空堀を歩く


③ の つづき

1400年代後期の島津本家は
多くの方が思い浮かべるであろう

九州制覇のイメージとは真逆の
最も弱体化していた時期で

当時の11代当主 島津忠昌に対し
本家を凌ぐ勢力を持った

有力分家たちは
言う事を聞かずに逆らうわ

蒲生氏、祁答院氏、東郷氏、
入来院氏、肝付氏などの

有力な在地領主らが独立化し
島津本家の命令を無視して

領地争いを繰り返すわで
領内は大混乱だったのです

本家弱体の原因といわれるのが
これより10年ほど前の

5年間にもわたる
桜島の歴史的な大噴火で

その被害は薩摩、大隅、日向の
島津領全域であったといい

噴火により舞い上がった
膨大な量の軽石や火山灰が

容赦なく、激しく降り注ぎ
大量の軽石や火山灰の重みで

多くの家屋が倒壊したり
田畑も埋没し、農作物が全滅した

さらに、家畜に与える
草すら無くなり

大規模な飢饉が発生したという
飢餓や経済的な困窮、

社会的不安などから
領主同士の領地の奪い合いが

激しくなるが、復興に追われる
本家 島津忠昌は

調停すら出来ない状態であった
これにより、本家の求心力は

徐々に低下していったようだ

「本家が助けてくれんなら自分の
  領地は自分で守るしかねーわ!」

みたいな感じで
独立化が進んだと思われる


で、そんな時に日向の伊東氏が
島津領の都城盆地に攻めてきたと


( 前回から話進んでないけど)
  ⑤ に つづく

② の つづき


都之城 本丸跡

本丸虎口跡 説明板



大淀川の対岸から都之城を望む

かつては城山のすぐ真下に
大淀川が流れており

水堀の役割を成していたという

都之城は、1375年に
島津氏の支族であった

北郷(ほんごう)氏第2代当主
北郷義久が築城し

以後、北郷氏の本城となった
また、庄内十二外城と呼ばれる

支城群を備え、都城盆地全体を
守る構えとなっていた

1400年代後半になると
島津一族内では、分家の薩州家、

豊州家、相州家などが力をつけ
島津本宗家に対して

反乱を起こしたり
島津支族の北郷氏、樺山氏、

新納氏、伊作氏も
それぞれ独自に動くなど

本宗家の統治が及ばなくなり
島津領は群雄割拠の様相となった

そのような不安定な状況の中
島津領内の混乱に乗じて

日向国の伊東氏が
都城盆地へと侵攻してきた


④ に つづく

①の つづき

 都之城 本丸跡
天守風の歴史資料館



腰曲輪



資料館の横にある石塔群

都城市内の寺院跡にあったものを
ここに集めたらしい

説明板

本丸からの眺望


③に つづく