福岡県 北九州市 門司区


豊前・三角山城跡



三角山 (みすみやま)城は
標高194mの三角山山頂に築かれていた

築城年代は定かではないが
南北朝時代に築かれたといわれ

門司城の支城として
機能していたようだ

城主は、門司城主・門司氏の
一族といわれる ( 門司郷房?)


門司城跡から見た、三角山城跡
(画像左中央の三角形の山)



毛利氏に門司城を奪われはしたが
門司城周辺に留まり

奪還の機会を伺っていた大友義鎮は
1561年に、吉弘加兵衛尉(鎮信)に

15000の兵を与えて
門司城奪還に乗り出した

その際に、この三角山城から
兵を二手に分けて

海岸沿いの和布刈 (めかり)神社方面と
古城山の東側へ進軍し

門司城を大軍で包囲した
この時、大友義鎮の調略により

門司城内には内応を図る者がいたが
事前に発覚して、すぐさま処分された

門司城の指揮官・小早川隆景は
これを逆に利用して

偽の内応の狼煙を上げて
大友軍を誘い込み

浦宗勝に背後を衝かせて
大友軍を切り崩し

大里まで追い込めて
大きな被害を与えたという

大友氏は、尚も門司城奪還を
諦めてはいなかったが

後方の松山城や、馬ヶ岳城、
香春岳城が、毛利軍により

攻略されて、撤退を
余儀なくされたという

本国の豊後に戻った大友義鎮は
この敗戦の後に出家し

名を、宗麟と改めている



城跡巡り 113  (´д`)
福岡県北九州市門司区   三角山城跡