俳句兼絵画から一句・英語で俳句兼曲から一句 | D.GRAY-MANの趣味ブログ

D.GRAY-MANの趣味ブログ

ココチよさって私らしく暮らすこと ~読書と音楽と映画と・・・Plain Living and High Thinking~

「蘇り生き抜く像よ水芭蕉」

「Seas the day ...
dive to blue in the wind
then chase you now」

(超意訳)
その日を掴むために
定められた運命を切り裂いて空へと抜け出し
焦がした胸の想いを届けるために君を追いかける

「絆されて残る記憶が喜雨であれ」

「炎昼に消えない記憶刻む日々」

【参考資料】
①水芭蕉(みずばしょう/みづばせう)
尾瀬の代名詞であり、春の高山植物の代表花。

水芭蕉の花言葉「美しい思い出」は、音楽の教科書にも載っている「夏の思い出」という曲に水芭蕉が登場することからイメージしてつけられたと言われています。

「夏の思い出」


②絵画から一句
アートの面白さのひとつ。

それは、鑑賞者の解釈が自由にできることや、時代背景や知識等で読み取るメッセージが変わってくること。

今回、ご紹介させて頂くのは、写真でもあり、絵画でもあるという。

普遍的なテーマをはらんだ希有なアーチストであるゲルハルト・リヒター。

ドイツ・ドレスデン出身の現代アートの巨匠です。

リヒターは、油彩画、写真、デジタルプリント、ガラス、鏡など多岐にわたる素材を用い、具象表現と抽象表現を行き来しながら、人がものを見て認識するという原理に、一貫して取り組み続けてきました。

昨年、下記の絵画展を観る機会に恵まれた際に感じたこと。

例えば、私たちは、写真で花が咲いているだけの光景を撮り、記憶に残すことで、それが脳裏に焼き付くイメージが力を持っていることに気付かされることがあります。

それは何故か?

【参考資料】
生誕90年、画業60年。待望の個展「ゲルハルト・リヒター展」は東京国立近代美術館で2022年6月7日から10月2日まで、豊田市美術館で10月15日から23年1月29日まで開催。


東京国立近代美術館「ゲルハルト・リヒター展」


ゲルハルト・リヒター展  ゲルハルト・リヒター ペインティングDVD


映画『ゲルハルト・リヒター ペインティング』


映画『ある画家の数奇な運命』


写真は、その場の光景の一瞬を捉え、且つ、止まった時間を切り取りますが、同時に、その被写体の空間も切り取っています。

そういう切り取った感覚が、リヒターの絵画を、更に、写真のように見せていると評されています。

この点について、リヒターは、以下の様に語っています。

「写真とは、今日だれでもが信じているもの、つまり『普通のもの』である。その、普通だと思っていたものが、あとから『普通でないもの』になると、その効果はベーコンやダリの作品のデフォルメよりも、はるかに強烈なのだ」(『ゲルハルト・リヒター 写真論/絵画論』清水穣訳、淡交社刊より)

たぶん、私たちの記憶も、一瞬の光景を捉えて時間を切り取りますが。

同時に、空間も切り取って記憶された後。

その人独自の手法で、その記憶を描き替えて(精密に模写した記憶のイメージを微妙に暈す、「フォト・ペインティング」の様な個人的な独自手法でドラマティックに描き替えて)いるのではないかと感じました。

なぜ写真を撮ろうとしたの?

現前する対象がどうして私の美的感覚をくすぐったのか?

その理由を考えることで、写真と絵画の向き合い方が変わるかもしれませんね(^^)

参考までに、写真に関する考えさせられる文章を引用しておきます。

”最初にして唯一の科学の芸術に対する貢献のかたち

写真とは、現在のところ、最初にして唯一の、科学の芸術に対する貢献のかたちであり、その存在意義は、他のメディアと同じく、その独自性にこそ宿る。

写真にとってのそれは、無条件の客観性だ。

ほかの芸術様式にはない客観性こそが写真の本質であり、芸術にもたらすことのできる最大の貢献にして限界なのである。

ほかのあらゆる芸術様式に身を置く者たちがそうだったのと同じく、写真家も2,3の例外をのぞいては、自分の扱うメディアの本質を理解していない。

それぞれのメディアの真価は、それを純粋に用いたときにのみ発揮されるものだ。

だから例えば、写真の加工や操作などは、無力さの現れに過ぎない。

写真家、そして知的な鑑賞者たちの「写真」という手段への理解や畏敬の念の欠如が問題なのだ。

したがって、写真家の直面する課題とは、写真の限界と可能性とが、同時にはっきりと見えてしまうことであろう。

正直さこそが、生き生きとした表現に不可欠なのだから。

写真を取る時、彼は眼前の物に対する心からの敬意を持たなくてはならない。

それらの物たちは、人類の手など及ぶべくもない、無限の陰影を湛えて現れるだろう。

それを忠実に写し取ることは、操作や加工などのない、ストレートな写真技法を通じてこそ実現されるのである。

ほかの芸術様式と同じく、写真とは、同じゴールを目指す違う方向からやってきた新しい道筋にすぎないのだ。

そのゴールとは、とりもなおさず人生である。」(IMAより抜粋。- 1917年のフォトセセッション(写真分離派)による機関誌「カメラワーク」ポール・ストランドによる文章の一部)

今回の俳句は、こんな感覚をイメージして詠んでみたものです。

【参考記事】
「ゲルハルト・リヒター展」に思う、「見る」とはいったいなんぞや!?


難解で、迷路をさまよう気分。だが惹きつけられるゲルハルト・リヒターの世界|現代で最も重要な巨匠の大回顧展が、日本の美術館で16年ぶりに開催


【参考図書】
「ユリイカ 2022年6月号 特集=ゲルハルト・リヒター ―生誕90年記念特集―」



③「Seas the day」
「Seas the day」は、夏に使えるおしゃれな英語フレーズで、「Seize the day」というフレーズの言葉遊びです。

「今日をつかめ、機会を逃さずに今を全力で生きよう。」という意味を持ちます。

同じ発音の「Seas the day」も同様の意味になり、このフレーズは、「ポジティブで活気のある気分」を表現する際に使用されることが一般的です。

④曲から一句
L'Arc~en~Ciel「DIVE TO BLUE」の曲から一句です。


この「BLUE」は、自由という意味で「自由に飛び込め」という意味になります。

「「さびた鎖に最初からつながれてなんてなかったんだよ」
"Those rusty chains you are in, it will seem like they weren't even connected to you from the start."

胸に胸に空をつめて 青色の深くに沈みたい
Fill your chest with the sky and sink into the deep blue.

どこまでも果てなく夜空をまとい 新しい世界を探そう
Marking down the night sky which stretches endlessly search for the new world.

会いたくて会えなくて揺れまどうけれど
I want to see you, but I can't meet you, and I'm trembling.

目覚めた翼は消せない」
Although it's confusing the awakened wings will not disappear.

⑤喜雨
空から降ってくる雨だけで、こんなにも豊かな表現があったんですね。

喜雨(きう)は、長い日照りが続いた後に降る雨。慈雨。

慈雨(じう)は、万物をうるおし育てる雨。また、ひでりつづきのときに降るめぐみの雨。甘雨。

甘雨(かんう)は、草木をうるおし、生長を助ける雨。滋雨。膏雨。

膏雨(こうう)(「膏」はうるおいの意) は、農作物をうるおしそだてる雨。おしめり。甘雨。

⑥炎昼(えんちゅう)
日差しが照りつける、真夏の暑い昼間。