【乱読NO.3659】「MBA老師のサラリーマン説法」井上暉堂(著)(ソフトバンク新書) | D.GRAY-MANの趣味ブログ

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[ 内容 ]
暴走族、プロボクサー、新聞・経済誌記者、著名実業家秘書、MBAホルダー、そして全国7000を超える寺からなる臨済宗僧侶のうち、わずか1%にも満たないという「老師」の位を拝命…世の中の酸いも甘いも知り尽くした著者が綴る、日本全国サラリーマン向け説法風読み物。
禅の世界の教えをビジネスの世界に持ち込み、禅語と著者の実体験エピソードを交えて、わかりやすく紹介。
悟りへと導く禅の精神が、行く先が見えない混沌とした時代にさまよう、元気のないサラリーマンに喝を入れる。

[ 目次 ]
第1章 失敗から学べよサラリーマン
第2章 目指せ危ないサラリーマン
第3章 立ち向かえサラリーマン
第4章 大志を抱けサラリーマン
第5章 咲けよサラリーマン
第6章 より上のサラリーマン

[ 問題提起 ]
著者は暴走族、プロボクサー、MBA、国会議員秘書、新聞記者などさまざまな経験をされた方です。

現在は会社経営をしながら、禅宗の一派である臨済宗の僧侶をされています。

本書は臨済宗の老師の立場から、サラリーマンに向けて、ご自身の体験を織り交ぜながら人生論を説く内容になっています。

最終的に目指すのは、何事にもとらわれないこころですが、目指すということ自体が目標にとらわれているので、途中の過程でそのあたりの折り合いをどのようにつけるかが難しいところです。

タイトルの「サラリーマン」は日常性を象徴する存在として使われているようですが、著者が本書を書くことによって行いたいのは、

日々流されている日常性に活を入れることであると思います。

禅というと公案と座禅が思い浮かびますが、本書に書かれていることを読むと、日常生活のすべてが禅となり得るようです。

自分の心を見つめてとらわれをなくすことが修行であると考えると、ビジネスの現場でこころが動揺しやすい環境にいる方が、揺れ動く自分のこころの癖がわかってよいかもしれません。

考え方によっては、ビジネス、家族関係、男女関係など執着心が関係することは、すべて禅の修行ととらえることもできるようです。

多くの場合、欲望や人間が絡むとこころが動揺しやすくなるので、山にこもって座禅をしているよりもよいかもしれません。

[ 結論 ]
本書を読んでいると、著者が大きなエネルギーを持った方であることがわかります。

そのエネルギーの外的な調整方法がさまざまな活動をすること、内的な調整方法が禅のようです。

著者は意欲を持つことを重視されていますが、これはエネルギーが大きい方がよいということでしょう。

また、意欲を持つことと似ていますが、サラリーマンが企業家精神を持つことも望ましいとされています。

本書のような本を読んだ直後は、日常性を打破したいと思う方も多いかもしれませんが、ほとんどの人は時間とともに日常に戻ってしまいます。

多くの人は非日常へのあこがれはありますが、多くの部分では日常を望んでいる部分がほとんどだからです。

本書を100人に人が読んだとすると、結局99人は今まで通りの生活を続けるでしょう。

しかしながら、1人くらいは日常性を打ち壊すべく実際の行動に結びつける人もいるかもしれません。

それだけでも本書の意味は十分にあるといえるでしょう。

なぜなら、少数の企業家に多数の人々が引っ張られるというのが人間社会の進歩の構造だからです。

[ コメント ]
すべての人が企業家になるとカオス状態になってしまいます。

ヒトはそのような社会的進化をしてきているはずです。

[ 読了した日 ]
2010年3月28日